消えゆく青に乗る。
苗字ゆかりの駅へ立ち寄った後、今度は武生へ南下。再び「18きっぷ」を使い北陸線を北上する。
武生から
普通列車の「芦原温泉行き」。今は敦賀始発で見ることができるが、2000年代までは米原始発もあり、僕の故郷でも見ることができた。
思い出の「芦原温泉行き」
母方のおばあちゃんに会いに大阪へ行き、新幹線で米原まで帰ってきた先には、白地に青帯、国鉄車両の「芦原温泉行き」が止まっていた。
夜の帳を爆走し、長浜〜虎姫間の「電流切り替え区間」で10数秒だけ電気が落ちて、「常夜灯」というオレンジの灯りだけになっていたのは1番の思い出。行き先だけでこれだけ出てくるのはなかなかだ。
それから15年以上経って乗る「芦原温泉行き」。形は異なるし、斜陽を浴びるあのときとは違う環境。でも、快調に飛ばして行くのは変わらず。100㎞/hも余裕の域。
もうすぐ過去
鯖江では「サンダーバード」とすれ違い。2024年3月の北陸新幹線の開業が待ち遠しい一方で、来年、これが過去帳入りしているという寂しさが入り混じる光景だ。
大土呂駅を始め、駅名看板の記録をしだした僕。ラストランで人が詰めかけたり、失われるものに心奪われる。ただ、それでエゴが過ぎるのは怖い。今のうちがいい。
越前花堂と九頭竜線
越前花堂駅。この駅からは「九頭竜線」こと「越美北線」が分岐。
北陸線が第三セクター「ハピラインふくい」に切り離されるとこの路線は“飛地”になる予定。18きっぷの扱いなどルール変更が気になるところ。
福井駅
そうしてやってきた福井駅。
いろいろ撮影していると、新幹線へのカウントダウンの減りがあとわずかになっていることを伺える。新幹線が開通してどう変わるのか、開通後に乗ってみたい。
帰ろう
日がさらに傾き、17時。ぼちぼち帰るとしよう。
特急でショートカットもありだが、ここは普通列車で。福井折り返しの敦賀行きに乗り込む。
いろんな521系
北陸線敦賀以北の普通列車はほぼ「521系」。「新快速」をベースに「交流60Hz」「直流」の2種類に対応したのが特徴。同じ数字でも実はいろんな種類がある。
一番初めに造られた「E編成」。2006年10月に新快速が敦賀まで進出する一環で、「国鉄車」を淘汰するために造られた。
製造費は
JR西日本
滋賀県
福井県
滋賀県長浜市、伊香郡(当時)、福井県敦賀市など沿線自治体
が負担している。
「G編成」は「E編成」をベースに「手すり」「つり手」「座席仕切り」の形状や色が変わっている。
ここで乗るのが「J編成」。2010年代製造の最新モデル。転落事故※をきっかけに標準装備された「先頭車転落防止幌」を初期装備。後に従来車両にも追加設置された。
ここから「227系」「225系」などに採用された。「西日本標準の顔」としていろんなところで見られる。
他にも「七尾線」「あいの風とやま鉄道」「IRいしかわ鉄道」に色違いがいるが、「北陸線モデル」はこういったところ。
福井出発
さて、「サンダーバード」「しらさぎ」に連続で道譲ったところで福井駅を出発。
卵おにぎり
列車で少し腹ごしらえ。福井駅前の土産物屋でこんなおにぎりを購入。
恐竜の卵を模していて、中身は「スコッチエッグ」食べ応えのある「爆弾おにぎり」だ。
夕日の眩しいところから徐々に暗くなっていく。
ここでも
帰りも3駅で駅名標を記録。
プレイリスト
そして音楽も。『フロントメモリー』かなりどハマりしたこの夏。
敦賀駅到着
敦賀駅に着いた。
敦賀から新快速に乗って、京都へ帰った。
この先は引き続き「北陸線」のまま。来年以降も新快速は変わらずこの駅まで乗り入れることだろう。詳しくは12月頃に分かるだろうが。
今回この区間を「青春18きっぷ」で乗ったが、来年にはほぼ確実に使えない。
「ハピライン」でフリーきっぷを作ってくれへんかなぁ
とかすかな期待もあれど、やっぱりJRで無くなるところに寂しさがある。その上、僕の故郷の最寄駅が金沢や新潟まで1つの路線で繋がってただけに数十キロ先の敦賀までに短縮される。特急がギリ残るとはいえ、そんな壮大な路線がこぢんまりしてしまうのは「隔世の感」に似たものを感じる。
とはいえ、延びることで、湖北では数十キロの近い距離で2つの「東海道」「北陸」の新幹線が見れる。羨ましいもんだ。
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