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YouTubeで見つけた懐かしの“鉄な”風景。

普段からYouTubeを見ていると、ときに懐かしく今では絶対見ることは叶わない鉄道の風景がある。
今回はそんな動画を個人的にセレクト。僕の思い出とともに綴っていく。

かつて、大阪と新潟を結ぶ夜行列車として活躍していた急行「きたぐに」。「はくつる」「月光」などの夜行から「雷鳥」「はつかり」など昼の列車までマルチに活躍した583系という電車を使用する最後の列車だった。かつて、琵琶湖の東を通って大阪から北陸へ向かっていた速達列車、貨物列車は湖西線開業を機にそちらを通るようになったが、こちらの定期列車時代は大津、彦根、米原、長浜といった滋賀の主要都市に停車するなど、そのままのルートだった。

長浜市内は新潟行きが深夜1時前後、大阪行きが午前5時前後の寝静まった時間の通過だった故に僕が生で見ることはあまりなかった。しかし、中学時代に線路沿いだった校舎の教室内から数回ほど見ることができた。列車が大幅に遅れて、朝のホームルーム直後にチラ見できたことがあった。生で見れたときは密かに興奮していた。
そんな「きたぐに」は2012年に定期から臨時運行に移行した。ルートは湖西線経由に変更され、地元に来ることは二度となかった。(強風で迂回したかもしれないが。)
時が経ち、地元を駆け抜けた名優は今、京都鉄道博物館に1両展示。クリームと紺を纏った栄光の姿になっている。色は違えど、その姿を見に僕は何度もあの時の記憶が蘇る。
↓京都鉄博の583系

大阪環状線と言えば、オレンジ色の電車がぐるぐる回っている。というイメージだが、一時期、“青い環状線”がぐるぐる回っていたことがあった。

時は2005年まで遡る。この頃、JR京都線、神戸線などで普通電車として走っていた201系が新型車両投入で、環状線と大和路線に一挙に移籍してきた。7両だったのを環状線向けに8両、大和路線向けに6両に組み換え、パーソナルカラーであるオレンジに塗り変わった。しかし、検査周期の関係上なのか、組み換えただけで“前任地”のスカイブルーのカラーでぐるぐる回り、この当時はラッシュ時に大和路線の区間快速として奈良県内、京都府木津川市にも乗り入れた。
これらが移籍したばかりの頃、父親に連れられて、京セラドームに野球観戦に行ったときにこの電車に乗ったことを覚えている。我が家の図鑑がアップデートされていなかった故に、「何でここにいるの?!」とか思ってたのかも。それぐらい記憶に焼き付いている。今でこそ野球にそれなりに詳しい僕だが、当時は退屈ですぐに帰った記憶がある。ただ、これに乗れたことだけは楽しかった良い思い出なのだ。

大阪メトロ民営化前に御堂筋線で走っていた、パチンコチェーン「マルハン」のラッピング電車。
これに僕が出会ったのは、母方の祖母に会いに大阪に行き、梅田から千里中央まで御堂筋線(+北大阪急行)に乗ったときのこと。轟音を奏でて入ってきたのはブラックフェイスに赤い帯、澄んだ青い色に「MARUHAN」のロゴを堂々掲げた電車だった。異彩を放つカラーリング、初めて見るけど、CMで見慣れた企業のロゴにテンションが上がった。これまで「キユーピー」「アイデム」などの女性専用車を目立たせるラッピングはあったものの、隅から隅までのラッピングは2004年ごろに乗った「大阪ガス」のラッピング※以来だった。1編成しかいない上に数ヶ月に一度しか大阪に来れないので非常に貴重な乗車となった。

※床暖房をPRすることからフローリング風のラッピングが施されていた。物心ついた直後ぐらいだったが、異彩を放っていた故に僕の記憶にかなり焼き付いているようだ。

今回はYouTubeの動画とともに僕の個人的“鉄な”思い出を綴ってきました。これら以外にも、今では見ることができない列車の在りし日の貴重な動画やフィルムがアップされています。ご自身の地元の列車、路線を検索すると、鉄道に興味が無くとも、「通勤で世話になったなぁ。」「家の近くでよく見たなぁ。」など思い出が蘇るのかもしれません。

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。