レプリカ

  続けておけばよかったな。ピアノも、書道も、三味線も。

幼い頃にしていた習い事は、高校受験を機にすべてやめてしまった。

これは余談だが、驚くべきことに、その当時「ガラケー」で、メールや電話でやり取りしていたのに、今は全て「スマホ」で、「LINE」のメッセージひとつで済んでしまう。

私が通っていた中学は、県内随一の進学校であった。大学の附属中学校で、「良い学校に入ることこそが、いい人生だ」というような価値観をそこで私は植え付けられた。当然、そのような学校に通わせようと思い立った母親は、俗に言う「教育ママ」であった。

最終的に辞めたのは受験勉強をするためだったが、私は数回、習い事を辞めている。

まず、幼稚園の頃に生協の2階で習っていた書道は、子どもにのびのび書を楽しませる先生 VS 子どもに綺麗な字を書いてほしい母親 のバトルが勃発して、やめた。この頃の強烈な記憶は、筆や鉛筆などを入れた書道バッグを2階から放り投げられたことである。

私は硬筆より毛筆が好きだった。先生もそれを見ていて察したのだろう。鉛筆を握る時間より、筆で思い切り遊ぶ時間が楽しかった。時には「ろう」で書を書くこともあり、その日は「もう1枚!もう1枚!」と迎えが来る直前まで書き続けていた。

母親が私に書道を習わせたのは、鉛筆でうまく字を書けるようにしたかったかららしい。子どもを遊ばせないでほしい、と先生に伝えているのを聞いたことがある。ショックからか、いまだに覚えている。

気が付けば、生協に行かなくなった。「あの先生は良くない」と、別の書道教室に連れられた。そこは今までの大胆で楽しげな書を書く場ではなく、綺麗な字を書く場所だった。

次に、ピアノ。家の近くの公園をまっすぐ行った先にあった教室は、私の秘密基地だった。玄関に置かれてあったスワロフスキーやガラスの小さな置物を自分好みに置き換えても怒られない、そういった自由な空間だった。

練習でミスタッチがあると逐一指摘された。母親は、全くピアノを弾けなかった。私は練習が嫌になった。親がいないタイミングは夜だけだったけれど、夜は近所迷惑になるから弾けない。そんな二律背反を抱えて、だんだん、練習する時間が減っていった。
ある時、コンサートに出たいと思った。音楽で競うコンクールはその当時から好きではなかったけれど、純粋に聞いてもらえる発表の場がほしいと思った。
先生は、しばらくしてコンサートに出させてくれた。

その教室をやめたのは、私が練習をしなくなったからだった。
それも、先生の責任として、教室をやめさせられた。私が練習しなかったのが悪かっただけなのになぁ、と今でも近所ですれ違うその先生を見るたびに思う。

基礎ができていないのだ、といったピアノ素人未経験者の母親の発言により、私はヤマハ音楽教室に通うことになった。小学6年だったか中学1年だったか。
そこは今までよりもずっと狭い、防音室の教室で、なんだか私には窮屈に思えた。
先生は、好きだった。ただ、練習練習!勉強勉強!といった母親が変わらない以上、私には何も変わらないように思えた。
 そこでは「グレード」というピアノのテストを設けていて、それに向けてピアノを練習していくということになった。弾きたい曲を弾けるようになりたいと思っていた私は、ピアノでも「テスト勉強」しなければならなくなってしまった。受験勉強をするから、という口実で中学3年生でやめてしまった。

三味線。これは、いとこが名取りになったことが縁である。小さな頃から太鼓やよさこいや民謡など、いとこに連れられて「ついで」で参加することが多かった。私は、「いとこの引き立て役」なんだなぁ。と幼い頃から思っていた。いとこは綺麗な着物を着て、私はハッピを着ている。わたしも着物が着たかったなぁ、とか、そんなことを思う。
これは私の自己肯定感の低さが原因だが、三味線や民謡やよさこいは「かじっただけ」で終わってしまったような気もする。

私は、いったい誰の人生を歩んで来たのだろう。私は誰なんだろう。

そういったことをよく考えていたような気がする。親の言うことや、親の敷いたレールを疑うことも許されずに進んできたけれど、これは私じゃないな。と何度も思った。

結局自分は親の理想を押し固めたレプリカの、それのなり損ないだったんだろうな。だからこんなにも全てに対して怒られて、褒められることはないんだろうな。

友達といても、いとこといても、誰といても、どうせ親から誰かから比べられるのだ。自分を自分として愛してくれる人なんていないのだ。絶対的な愛情を望んでいるのに、相対的な評価すらもらうことができない。

そんなことをぐるぐると考えていた気がする。

私が今でも自分を自分のまま、まるごと愛してあげることができないのは、正直のところ紛れもなく、「あの時」のせいなんだろうな。仕方がないけど、でも結局、自分しか自分のことを愛せないんだろうな。他の人に愛情を求めるのも、何かを求めるのも間違っていることで、結局自分自身でなんとかするしかないんだろうな。

劣等感と、絶望と、ひねくれた自己愛とで出来上がった偽物の僕は真っ直ぐな人生を歩めるのだろうか。


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