出産事故と向き合った10年間の記録

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2012年2月15日 読売新聞に掲載。
娘が東京都板橋区の特定機能病院で、出産事故に遭い脳死状態で出生しました。

事故当時、自分の頭の中にあったのは、娘の回復のことだけでした。
毎日時間が経つのが遅く、頭がおかしくなるような毎日を過ごしながらも、手探りで医療過誤裁判への準備をしていました。
当時は記事の中にある「産科医療補償制度」とはどの様な制度なのか、全く知りませんでした。

出産事故後の説明会、病院の院外の委員を招いた事故報告書、医療過誤裁判とステージが変わる中で、この「産科医療補償制度」という制度が、利用する患者(国民)の為の制度ではなく医師を守るための制度、という疑念が生じ不信感を持った事から記録を取るようになりました。
この記録をnoteで公開していこうと思います。
同じような境遇の方達との情報交換やこれから出産する方の身の安全を考えるきっかけになれば幸いです。

●出産事故について 2011年7月 
●出産事故後の説明(病室でのカンファレンス) 2011年7月出産日3日後
●出産事故後の説明会 2011年8月
●院内調査(病院外の委員を招いた報告書) 2011年12月
●医療過誤裁判 2013年1月
●産科医療補償制度 原因分析報告書 2013年10月
●産科訴訟を取り巻く医師、弁護士、マスコミ、国会議員

#医療事故 #医療訴訟 #医療過誤 #脳死

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