出産当日 4 ~出産事故と向き合った10年間の記録~

医師が2名登場するので上級医をA医師、担当医をB医師とします。

午後7時●●分 子宮口全開大から激しい痛みが1時間以上続いていたため体力の限界を感じ、医師に会陰切開を希望するも経過観察することとなる。

妻が体力の限界を感じ、意識もうろうとする中「もう無理です。切ってください。」と言った。
すると、看護スタッフからは「もう少しだから頑張ろう。」
B医師はその時初めて言葉を発した「頑張れ。」と。

この時も、スタッフ達には緊張感がなく、処置をすることはなかった。
あと一回、あと一回といきむ。
これがお産なのだと思った。
まるで運動会の様だ。頑張っている人間を周りが盛り立て、応援している。
ただそれだけ。

妻のいきむ声と「頑張れ」、「頑張れ」という声、そして大きな音で「ドクドクドクドク」という心臓の音が部屋に響き渡っていた。
後日の話だが、妻は助産師から「息を吸って」「息を吐いて」ということは言われたが、初産であるので、「いきみかた」が分からなかったという。

「おめでとうございます。」
助産師が妻の胸の辺りに赤ちゃんを置いた。
しかし「オギャー」という声が聞こえない。

その場にいた上級医A医師は妻の胸から赤ちゃんを抱きあげ、奥の部屋へ連れて行った。

一瞬のことで何が起こったのか、意味がわからなかった。


第二子の病院では助産師は、今赤ちゃんはどういう状態で、どの様にしたら赤ちゃんに良いということ、母親の体勢を整え楽にさせ、どうすれば良いか、明確に妻に指示していた。
医師は部屋の大部分を占めている大きなCTGモニターを見て、少し前に遡って見てみたり、アップにしてみたり、大忙しに見えた。もちろん、最後の決断も医師であった。
この方は産科有数の医師だったが、人柄も落ち着いていて、全てを任せ、仮に何かあっても全力を尽くしてくれたと思わせる、そんな医師だった。
誤解を恐れずに言うと、この事故の起きた特定機能病院が現在の医療のスタンダードだとしたら事故は起こって当然である。
第一子には大変申し訳ないことをした。

安心、安全なお産をしたい方は是非参考にして欲しい。
父親も難しいと思うが、時間の許す限り母親に付き添い、病院の施設を見学し、医師と面談して欲しい。
戻らない、一度しかないお産を納得のいくお産にして欲しいと願う。
金銭がかかるとか、手間だから近くの病院、という選び方はやめて欲しい。
もちろん、自分が金銭面や設備等に納得した病院が近い場所にあれば、それに越したことはない。

#医療事故 #医療訴訟 #医療過誤 #脳死

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