出産当日 5 ~出産事故と向き合った10年間の記録~

医師が2名登場するので上級医をA医師、担当医をB医師とします。

「少しお待ちください」、と言われ外に出された。

外には母親達が携帯電話を片手に待っていた。
産声を録音しようとしていたようで、「どうしたのか。」と聞かれ「待つように言われた。」
という会話をしたと思う。

どの位待っただろうか、処置室に呼ばれた。
処置をしている別室に通された私は赤ちゃんと対面した。
処置台の上に小さな体が見えた。

顔を見ると眠っているようで、少し微笑んでいる様にも見えた。

可愛い顔をした子だった。
口元に小さな管を入れられ、その先はA医師の手からバックで空気を送られていた。

A医師から近くの大学病院に搬送することを言われ、何が何だか分からないまま救急車へと乗り込み近くの大学病院へ搬送された。

病院のカルテによると

19:●● 出生 AP0  心臓マッサージ開始
19:●● B医師 搬送依頼開始
19:●● 心拍確認 ▲▲病院へ搬送決定
20:●● 救急隊到着

生まれてから1時間程度でようやく救急車に乗ったということが記録でわかる。
この時のB医師の搬送依頼の電話は家族の前でしていたのだが、机に肘を付きながら緊急性も感じらなかった。その態度から、それほど大事なことではないのだと思った。

道中、道が混んでいないことを祈り、早く大学病院に着けば何とかなると、考えていた。
幸い道も混んでいなく、大学病院のNICUに到着した。
検査があるということでNICUの前の誰もいない通路で1人待たされた。
待っている間、何が起きたのか訳が分からず、ここまで起きたことは、きっと何かの間違いなんじゃないかと思った。

#医療事故 #医療訴訟 #医療過誤 #脳死

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