出産当日 2 ~出産事故と向き合った10年間の記録~

分娩室に移動し午後4時●分から午後7時●分まで分娩監視装置を装着

午後5時●●分 子宮口全開大
午後6時 排臨
午後6時●●分 発露
午後6時●●分 医師が立ち会う

医師が来た。
その医師は青白く、自信なさそうな顔をし、小さい声で挨拶をされた。
事故後の病院の報告書によると、この医師は2年の初期研修を終えた3年目の医師で約60例しか経験していない医師だった。
ということは、約20日弱しか1人でお産に立ち会ったことのない医師ということである。
病院の報告書によると、助産師も2年目の助産師で約120例ほどの経験だった。

分娩室に移動してからは印象に残っていることは、ずっと立っていたことだ。
バカなことを言っているかもしれないが、まだまだ赤ちゃんは五体満足で生まれることを信じていたからだ。
「妻の両親も来ている、早く生まれないかな。」と時間が気になり、時計を見る時間が増えていた。
妻ずっと苦しそうな表情を浮かべ、必死にいきんでいた。
自分は何もできずに「頑張れ、頑張れ」というしかない。
少しでも産科の知識があれば、今がどういう状況か理解し、質問をしたりできたのだろうけど、そんな知識は持ち合わせていなかった。
ゴールもよく見えない中、とにかく「頑張れ」と。
医師や助産師が解説してくれればよいが、記憶の限りではそれもなく、
助産師も「頑張れ、頑張れ。」 

医師は一言も発することなく一番後ろにいた。

第二子は日本有数の大学病院で出産したのだが、全く違っていた。
同じ医療機関なのに何から何まで、ここまで違うのかと思った。
出産時のリスクを少しでも抑えたい人にとって有益な情報になればと思う。

働いている人の態度から施設の設備等本当に何から何まで違っていた。
第二子は年子で1年間しか違わないはずなのに、前時代の出産と近代の出産の様で愕然とした。


#医療事故 #医療訴訟 #医療過誤 #脳死

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