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『アルジャーノン、チャーリイ、そして私』

書籍情報

やがて「アルジャーノンに花束を」に結晶してゆく、多くの喜びと苦しみ、出会いと別れ。ダニエル・キイスが、自らの分身ともいえるチャーリイ誕生の軌跡と、彼をめぐる物語の成長を語り明かした自伝。

上記リンク先より

なぜ読んだか

『アルジャーノンに花束を』を読み、非常に深い話だなと感心していたところで、この話の誕生秘話的な著者の作品があると知り読んでみたくなった。ただ、おそらく絶版になっておりAmazonにも新品では売っていなかったのでメルカリで購入。
読んでみておもったが、この本が絶版なのはもったいない。『アルジャーノンに花束を』自体が改めてブームになっているのであればこの本ももう一回刷られないものだろうか。

記憶に残ったこと

この本は『アルジャーノンに花束を』の著者であるダニエル・キイス自身がその作品を書くに至るまでの経緯を語る本である。

著者の様々な経験

著者が生まれ育った時代では珍しくないのかもしれないが、著者は様々な経験を積んでいる。医者を目指して勉強する中で、一度船にのりその中で流れで船医を務める。しかし、その中で船員の死に立ち会うこととなり、医師になることをやめる。その後、編集の道に進み、一時期はマーベルの創始者として有名なスタンリーのもとでも働く。教師にもなったりしながらそれらの経験も活かして『アルジャーノンに花束を』を書いていくことになる。

『アルジャーノンに花束を』を書き上げるまでの苦しみ

もともと売れっ子でもなく、この作品を書き上げるのは多くの苦労があった。まず、本作(『アルジャーノンに花束を』)は最初から今の形ではなく、より短い中編作品として世に出る。その中編版においても、終わり方がハッピーエンドでなかったことが編集者に気に入られない(というより世に受けるためにはハッピーエンドであるべき)というフィードバックがされる。しかし、もちろんこの作品の深みはその終わり方にもあるわけで、作者はその方針を受け入れずに作品を世に出し、それが結果として世の中でも受けいれられる形となった。
そして、その後、長編としてさらに本作をより良い形にしようと試みる。これは結果として数年の時間がかかる。そもそも中編の状態でも評判が良かっただけに、「余計な形で手が加わった」という評判が長編版においてつくことに恐れている中で、それでもよりチャーリィについて書きたいという気持ちがあったとのこと。

本作につながる作者の経験

本作の設定につながる経験として、白ネズミの解剖などの経験がある。そしてもっとも強烈なのが、教師としてIQの低いこども向けの英語の特別クラスを教えていたときの話だ。授業後に残ったままの一人の子供に「もし一生懸命勉強して、学期の終わりに頭が良くなったら、ふつうのクラスに入れてもらえる?ぼく、利口になりたい」と言われた。それが心にずっとあり、本作の設定に繋がったという。

所感

作者の文章はすました形ではなく、どこか親しみを感じるような文体である。その中で、『アルジャーノンに花束を』が単なる推測や想像だけで作られたものではなく、作者の人生における様々な出来事をもとに書かれたものであることもよく分かる。作者が謝辞でも上げている通り、英語の特別クラスの男の子に言われたあの一言がなければこの作品はなかったのであろう。そもそも、そういった男の子が「利口になりたい」といった気持ちを純粋にいだくことも何もないところからは想像が難しいだろう。
自分の人生で、テレビや本からではなく、自分が直接聞いただれかの言葉でこのレベルで刺さっているものってあるかな。

冒頭に書いた通り、『アルジャーノンに花束を』自体が刷られているのであれば、この本も絶版になったままなのはもったいないなと感じた。


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