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『アルジャーノンに花束を』

書籍情報

32歳で幼児の知能しかないパン屋の店員チャーリイは、ある日、ネズミのアルジャーノンと同じ画期的な脳外科手術を受ければ頭がよくなると告げられる。手術を受けたチャーリイは、超天才に変貌していくが……人生のさまざまな問題と喜怒哀楽を繊細に描き、全世界が涙した現代の聖書。

上記リンク先より

なぜ読んだか

X(Twitter)で、最近また人気がでているとかでてないとかというポストをみた。そして、名作というのは聞いていたので読んでみた。

記憶に残ったこと

長年読まれている名作ということもあり、深い本であった。
※以下を書くにあたり、適切な単語選びができていない場合もあるが、これらの単語を使うことに差別の意図はありません。

知的障がい者としての実体験を、知的障がい者じゃなくなった当事者が振り返る

知的障がい者であったチャーリー(主人公)が、特殊な手術により「知能」を得ていくわけだが、その結果として障害者から脱却した主人公が知的障がい者だったころの経験を振り返る描写がある。
改めてより高い知能で当時の状況を理解することで、自分が酷い扱いをされていたことや、それを自分自信がわけも分からずに過ごしていたことを思い出す。周囲の人にいじめられたりバカにされた悲惨な経験を、改めて思い知らされる。現在の世界には、本作にあるような「劇的に知能を向上させる手術」というのはないため、チャーリーと同じ体験をしている人はいないはずである。ただ、実際にそれを体験した人が書いたような心情の描写は心に迫るものがある。

知識水準がもどる恐怖

また手術の効果には期限があり、徐々にその知能が手術時に状態に戻って言ってしまうことに、同じ手術を先にうけていた実験体のネズミ(アルジャーノン)を観察することで気づいてしまう。
そこからの自分の知能水準がもどってしまうことに対しての描写もまた、実際に体験している人は世の中にはいないものの、リアリティを感じさせるものである。私達は身体的な衰えには自覚的ではあるものの、知能といったものが急激に衰えてしまう状況にあり、それを認識するというケースもかなり稀だと思われる。
そういったときに、人はどういうことに想いを寄せ、それがどういった恐怖を引き起こすのかということが、一つの形として示されている。

所感

作品自体はすごくよかったが、だからこそこういった作品の内容を自分の言葉で表現する能力が私には全然ないということも実感してしまう…。

それはおいておいて、この作品でも裏のテーマとしては「知能」を絶対正として捉えることへの疑問を呈しているように思える。実際に知能を得たことで、チャーリーが失ったものがあるというようにチャーリーの周りの人物が表現する場面がいくつかある。そして、物語のベースとなる「知能を改善する手術」自体もそれが絶対善いものという文脈で物語の中では語られるが、話が進んでいくことでその価値観自体への絶対性が揺らぐのである。

そういった手術は単純善い/悪いと言えるものではないのではなく、というかそもそも絶対的に善い/悪いといえる指標などあまり世の中にはないのだろう。

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