140字で悩みは解決するのか

 前の記事で「Twitterにはマイナスの感情が多い」と書いたけれど、マイナスの感情はどこから出てくるのかと言ったら、いわゆる正義感から出てくる事もあるだろうし、個人的な悩みから出てくることもあるだろう。
 この「正義感」は非常に厄介なので、いつか改めてじっくり考えてみたいとは思うが、今日は「個人的な悩み」から出てくるマイナスの感情の行く先を考えてみたい。考えると言うより自分の経験を振り返ってみたい。

 気軽につぶやけると言うのがTwitterのいいところではあるけれど、普通「これを人の目の前で言うだろうか」というのをぽろっと言っちゃったりもする。「仕事でムカつくことがあった」とか、「子どもに手を焼いている」とか。
 例に挙げたことは実際、リアルでおしゃべりで口に上らせる場合もあるけれど、それは大抵お互い「愚痴大会」というか「くだまき大会」になっている。つまり言うことが目的で、お互い真剣に聞いていない。お酒でも入っていたら、もう止まらない。言い終わったらすっきりして、次の日にはあっさり忘れているレベル。
 もしこれらの事で真剣に悩んでいるんだったら、プロの手を借りた方が速い。職場だったら上司に相談することを考えるし、子どものことだったら学校の先生やスクールカウンセラーにアポイントを取ることを考える。

 その愚痴をTwitterでこぼしたらどうなるか。

 みんな優しいんである。私が例えば「子どもが反抗的で手を焼いている」とでもつぶやいたら(実際にやってしまった)、みんな「大丈夫ですよー」とか、「お母さんが幸せなのが一番」って労ってくれるんである。優しい。そして私の気持ちは一時的に収まる。

 で、問題が解決しているかというと、解決していない。
 その時、私が向き合うべきなのは、Twitterではなく、子どもだったのだ。子どもにあたられてイライラしている自分の気持ちではなく、子どもがどうしてそうなっているのかを見つめるべきだったのだ。

 だって、Twitterで愚痴を見たときに、慰めを言うのは簡単だもん。私も誰かに「大丈夫ですよ」って気軽に言っちゃってた。あれ、本当に良くなかったと思う。でもこの「いたわりっぽい言葉をかける」って、実は自分の自己満足だったりもする。TL上で困っている人に優しい言葉をかけられる私!に酔っていたのだ。

 でも、画面越しでは、相手の悩みの根源までにはたどり着けない。例えば私に慰めの言葉をかけてくれる人は私の子どもがどんな子か知らないし、そこに至るまでの経緯も知らない。その人に見えてるのは悩んでる私だけ。だから私だけに言葉をかける。

 そんな中で、一人だけ、自分の経験を共有してくれた人がいた。大丈夫ですよ、とか、私さんは悪くない、とかではなく、ご自分が私のような悩みにぶち当たったとき、自分がどのようにしたか、そしてその後の話しもしてくれた。その人の話はすとんと染みた。そしてその頃から、Twitterから離れなきゃいけないなと思うようになった。

 Twitterをやめて子どもと話す時間を増やした今、子どもとの関係はよくなったと実感している。

 本当に悩んで、本当に解決したいんだったらTwitterに垂れ流さない方がいいというのが私の見解。そこで垂れ流してなんとなく慰めをもらうと、解決したような気になってしまう。

 でも解決してないから。

 Twitterで悩みを解決するなら「ジャガイモは水から煮るかお湯から煮るか」くらいのレベルかなと思うけれど、そんなのググればいいので、やっぱりTwitterと悩みは相性が悪いように思える。

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