映像作品と原作 〜原作厨の戯言1〜

映画にせよアニメにせよ、オリジナル作品というものもある一方で原作がある作品もあります。この原作は漫画だったり、小説だったり、ゲームだったり、はたまた別の映画やアニメだったりします。そうした作品が世に出る時、特に実写の映画では賛否両論巻き起こることがあります。『役があってない』『原作と違う』『展開が不自然』等々、原作が改悪された!ファンは叫び、(日本の映画では特に)俳優女優目当ての人々が集まり、コケたりコケなかったり…私はできれば(特に実写で)原作を尊重してほしい人間なので、その思いを手慰みに書こうと思います。

そもそも何故原作があるのか

原作が何故あるのか、それはもちろん『原作が人気であり、メディアミックスを行うと収益や話題になることが見込まれるから』です。小説やアニメや映画や漫画は現在相互にメディアミックスが行われており、『小説原作の漫画』や『漫画原作の小説』、『小説や漫画原作の映画』などの例はよくあります。小説であれば読者の想像で補う部分が映像になることでより分かりやすくなりますし、漫画であっても動きや声がつくことでキャラクターの魅力が増します。『この作品が好きだ!』というファンの想いに各メディアそれぞれの良さを活かして応えてくれることがメディアミックスの醍醐味であると私は考えます。だからといってオリジナル作品が良くないというわけではなく、『メディアミックスを通じて一つの作品をあらゆる角度から楽しむ』という行為がメディアミックスにおけるファンの楽しみなのです。

原作と作品〜相性って大事〜

さてこのメディアミックスですが相性があると私は考えています。『漫画とアニメ』は相性が良く、『小説と実写』の相性も良いです。一方で、『漫画と実写映画』や『(俗に言う)ライトノベルと実写映画』の相性は微妙であると言わざるを得ません。これは『想像力での補完』と言う差があると私は考えています。
例えば漫画はすでに絵ができておりキャラクターの姿や世界観について人によって差が生まれるなんてことは少ないです。また、漫画的表現が数多くあります。例えば、ギャグシーンで二頭身になる、興奮して鼻血を出す、ラッキースケベ等々、こうした表現は現実で起こることはほぼありません。こうした作品に対してアニメであればいくらでも自由が効きますし、キャラデザインに多少の差はあれどほぼ原作通りの姿のキャラを動かすことができます。一方で、実写となると難しくなります。まず、漫画のキャラの背丈や髪色、髪型は現実ではあり得ないものも多く、それをどのように実写に落とし込むのかという問題があります。この表現が適切でないとコスプレのようになってしまい、実写の良さが失われてしまいます。また、漫画的お約束にも制約が出るのでそこに作品の良さがある場合魅力が半減してしまいます。こうしたことはアニメ原作の実写にも同じことが言えます。
こうした実写との相性が良いのは小説です。小説は読者の想像によって補完するものでキャラクターの姿は人それぞれです。つまり、正解が一通りではなく、監督や役者の方の表現や想いも正解になるのです。漫画には縛りがあるので自由が効くアニメの方が高相性である一方、小説には縛りがないため実写との相性が良いのです。

まとめ

メディアミックスする際の相性があり、『漫画やアニメとしての正解』がある以上、自由度の低い実写映画は相性が悪い。しかし本当にそれだけが理由なのでしょうか?私の各文は長めになってしまうので試験的に複数回に分けます。それでは戯言2へ続きます。

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