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自分が自然の一部だと感じられるとき

毎月最後の一水空オンラインレッスンは、イベントの日としています。
8月の茶話会トピック:『自分が自然の一部だと感じられるとき』

土曜日定例の英語『一身通』を30分練習した後、
汗を拭きながら、飲み物を手に取って、パソコンの前に集まりました。

参加された方の暮らす環境、これまでしてきた経験、習慣は全く異なります。その方々から、様々な面白いことを聞くことができました。
以下、参加者の「自分が自然の一部だと感じられた時」をご紹介します。

Aさん:パラリンピックを観戦したとき、選手たちの奮闘姿に感動した。
Bさん:沖縄の海でダイビングした時、「ここは生命の始まりだ」と感じた。
Cさん:鎌倉の旬の野菜を手に取った時、日本の四季感をしみじみと。
Dさん:水槽の中を小さなメダカが泳ぐ姿を見て、これも小さな宇宙だなぁと感じた。
Eさん:海外から帰ってきたばかりのとき、数年ぶりの日本暮らし。虫の声が懐かしい。
Fさん:闘病中、家族から毎日送られた四季折々の花の写真に励された話。
Gさん(NYのブルックリンに住んでいる):ステートアップの田舎に行ったとき、どこを見ても素敵な風景画だった。
Hさん:最近、サイクリングを始めた。自分の足てユタ州の山と森の自然を楽しんでいる。

話の前半は、自然を楽しむムードでした。
しかし、途中から、カリフォルニア州に住むバーバラさんのお話で雰囲気が変わりました。
バーバラさんはカリフォルニア州にある長閑な町に住んでいます。
この夏、一ヶ月以上も続く山火事に悩まされています。
外出はできない、普通の暮らしに支障が出るぐらい深刻な状況だと教えてくださいました。

実はこの山火事は隣のユタ州まで大きな被害を与えてしまっています。
ユタに住む私と講師の祥子さんは、山火事の深刻さを同じように感じています。
毎日の空気汚染に悩まされ、遠くの山は埃をたくさん被ってしまい、姿が全く見えません。車を運転していても喉と目の違和感を強く覚えます。

そういえば、今年2月、アメリカのテキサス州に起きた記録的な寒波により、停電断水の被害を受けた一水空の受講生もいました。
(この記事をまとめていた時、ニューヨークで起きた暴雨と浸水災害は、ブルックリンに住む一水空の知子先生のエリアも及びました。)

インターネットのお陰で、世界各地の方々と繋がれるようになりました。
いま地球上で起きている様々な異常気候は、もう他人事ではなくなっています。

この話の途中で、S子さんからメッセージがチャットに書き込まれました。
「今の地球を救うのは一人一人が何ができるか考えて、できる事から
実行しなければ、今の時代だけではなく、これからの世代に責任が持てないと思います。」


最近見た映像を思い出します。
それはコロナにより世界各地でロックダウンが起こった時の映像でした。ロックダウンにより多くの物の生産が中止しました。
そうすると、汚れていた空気がきれいになって、何十年ぶりにインドのある町からヒマラヤ山脈が見えたり、消えていた魚が川に戻ったりしたのです。

このように、地球に治癒力があります!
しかし、”我々は地球を救う方法を知っているのに、それをしようとしません。”

私達は、目前の利益追求するのではなく、視野を広くして、
これからの世代と子供たち、人類以外の生き物も含めて、地球全体の寿命を考えるべきです。
こんなことに気づいた方々は大勢いるでしょう。
ただそういう人も、もしかしたらどうしたらいいのかわからないのかもしれません。

一人一人が願い、その思いを日々の行動に繋がって行けば、何か変わるではないかと私は思います。
これは一水空の願いです。
一水空のゆっくりとした呼吸と運動、諸々のイメージを思い浮かべることを通して、
「自分はこの大自然に沢山ある生き物の一つに過ぎない」。
これを「実感」しましょう。


以下、私が尊敬する野口三千三先生の自然に対するお話を抜粋し、紹介させて頂きます。

『野口体操 感覚こそ力』 羽鳥 操 先生  p106
僕がい いたいことは、人間の生存というものはもっと密やかで、つつましいものであってもいいと思っているのです。自然に対してもっと謙虚でありたいんです。文化や文明がいまさら後戻りはできないかもしれない。しかし、立ち止まって、今まできた在り方を、もう一度振り返ってみたいんです。無いことの価値、『負の価値』を復権させてみたいんです。
人間、奢ってやしませんか?
僕は自分のからだに貞きます。
僕のからだのうちなる自然に貞きます。
僕の庭の植物に貞きます。
鉱物や化石、この地球を形づくった隕石に貞きます。
自然から直に伝えられることを貞きます。
それが僕に与えられた『自然直伝』です。
そこから僕は次のように言いたいんです。板書を読んでみましょう。
※自然現象の力に抵抗する能力を力と呼び、そのような力を増すことがいいことだ、という考えは傲慢の極みである。
 力とは、自分自身のまるごと全体が、本来の自然そのものになり切る能力のことである。
 これは、僕自身への言葉であり、同時に、皆さんへの遺言でもあります。

下のデータを知っておきましょう。


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