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「一を聞いて十を知る」ことの前提

  2023年2月16日のユタ州『東方新聞』リンヤンコラムの文章を、日本語に訳したものをここでご紹介します。
 
  書道は線の芸術です。一筋ごとの線に品位があるかどうか、それが字の品位を決めます。書道の運筆には、中鋒、側鋒、束鋒、裏鋒、鋪鋒などがあります。中でも基礎になるのが中鋒です。
 張浩波先生は、私たちが初歩の段階にある時は、「中鋒を死守しなさい」と教えられます。最初の三ヶ月は、ただ中鋒だけを練習します。というのも、中鋒は強すぎず弱すぎぬ中間の力を使い、偏りがなく、まろやかでつやのある、充実した運筆だからです。中間的なバランスの力をしっかり守ると、この後のどんな変化に対しても、大きなひずみが出なくなります。

 一定の期間は、この「基礎を固める」訓練に打ち込みます。
 その目的は、まず筋肉に明確な記憶を作り上げることです。
同時にそれは、身体の神経と大脳の神経を鍛える方法でもあります。しっかりした基礎ができてはじめて、力強い、ひょうひょうとしている、素朴であるなど、様々な運筆の変化を追求することができます。

 伝統武術にもこれと同じ原理があります。武術の套路には、「招」で構成されるものと「式」で構成されるものがあります。武術入門者は、まず「式」から練習を始めます。尹氏八卦掌では、これを「站式子」と呼び、「騎馬式」「弓鐙式」「金鶏独立式」などがあります。武術各流派の「式子」にはそれぞれ違いがありますが、「馬歩」「弓歩」「独立歩」「撲歩」「虚歩」などはすべて共通の基本的な技です。

 今年のユタ州中国人春の夕べで、私たち尹氏八卦掌のグループは、ステージで演武を披露しました。
 私の二人の弟子が行った演技は、それぞれスタイルの異なるものでした。インドネシア国籍の健偉はすばやい跳躍で八卦剣を演じました。アメリカ人のブランディンはたくましく落ち着いた八卦大刀の姿を見せました。
  プログラムが終わった後、多くの友人が私たちの演武の成功を祝福してくれました。ところが、みんなは知らなかった:彼らの演武の内容は、私が教えたものではなく、自分で身につけたものだ、ということを。
  私はただ、尹氏八卦掌の基礎を教えただけです。この何年間か一緒に、基本的な技を懸命に練習することによって、はじめて二人はステージで各自の特長を存分に発揮することができました。

 武術の世界には、こんなことわざがあります:
 「不怕千招会、就怕一招対」。千の技(招)できる人は怖くないが、一つの技が精通する人の方が怖い。
  つまり:様々な種類の拳法を学ぶことはよりも、一つの拳法を極限まで習得するのは難しい、ということです。それはちょうど、一曲の歌にも様々な歌い方があるのと同じです。ただし、その大前提として、一つ一つの音符を正確に歌わなければいけません。メロディーと音が正しくなければ、歌の表現についてとやかくいう資格はありません。書道は、その一画一画に品位が必要です。拳法はその一つ一つの動きに正しい型が必要です。

 以前の時代には、今のような多くの情報がありませんでした。知っていることが少ないと、かえって人の心を落ち着かせます。インターネットの発達により、私たちは毎日、千変万化する表面的な現象に向き合っています。「短時間で効率的に」という言葉が、私たちの心をざわつかせます。「わかったような」気持ちにする見せかけの印象が、人をたやすく満足させ、得意にさせます。そして、物事の原点とそれを不断の努力によって深化させる過程をおろそかにさせるのです。

 「一を聞いて十を知る」という言葉、まず「一」をたしかなものとするという前提があって、はじめて「十を知る」ことができます。もし、最も基本的な練習をきちんとしていなかったら、後でどんな失敗をするかわかりません。まず「一」から始めるのがいいでしょう。

元の新聞記事

  (中国語の「挙一反三」ですが、日本語は「一を聞いて十を知る」になりますね。)

一水空Youtubeの公開練習でも、このキーワードを取り上げました。


一水空HP https://yishuikong.com/

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