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運命の主人のなる為の易経の知恵~易経について~

易経とは何の書?

一陽来復、虎の尾を踏む、君子豹変す、革命、窮すれば通ずなど、私たちが日常で使っている言葉が実は易経から引用されていることはご存じでしょうか?

中国最古の古典である易経は東方思想の根源とも言われ、その壮大さ、奥深さを解説しようと思えば、自分の手のひらほどの知識では実に畏れ多くなります。
しかし、手のひらほどしかかじっていない易経から私が数多くの生きる知恵を授かり、どんな時でも心が平和でいられるのは、なんと言っても易経のお陰であり、魅力だと言えます。


殷の時代(前1700年~前1122年)から現代まで、長い間、風水、占いなどで活用されてきましたが、一方では「よく易を為(おさ)めるものは占(うらな)わず」と中国の思想家である旬子が残した言葉があります。

占いは将来起きるであろう結果を予測していくことですが、その結果に至るまでは例えば春に種が蒔かれ、夏に太陽と光と水という条件を与えられたこそ、秋に実るように、結果には必ず原因の世界が前提としてあります。原因から結果まで結びつくまでは絶え間ない変化があるわけですが、易経ではその変化の法則を解いたのです。

易は上が日、下が月を意味し、陰陽を象徴します。陰と陽という二つの性質が異なるものが交じり合うと変化が生じます。古人は自然現象の変化の観察を通して、陰陽の本質を悟り、自然の規律を人間世界に応用し、さまざまの場面・時・状況からどうすれば「天道」に沿うことができるかを教えてくれています。

易経は「変化の書」とも呼ばれています。
易には、それぞれ、「変易」、「不易」、「簡易」と言われる三義があると言われています。
「変易」は、森羅万象すべて一刻も同じ時がなく変化し続けていることを指しています。
「不易」はその変化には不変な法則を伴っているということです。
「簡易」は簡単という意味で、物事の変化が不変な法則「不易」を伴って「変易」してることが理解できるようになれば、将来の事象も推測しやすくなり、物事は簡単にわかりやすくなるという意味です。
変化には必ず、法則が伴っている以上、原因があれば、結果は予測がつくものになります。
と言うわけで易経は予測学(占い)とも言えるでしょう。

予測学だけでなく、その易理を通して、私たちは哲学、処世術、医学、自然科学、人間学、養生学など、すべてを網羅した宇宙の本質、万物に共通した摂理を探究できるようになります。心を静めて、じっくりその真髄を探究したら、古代の聖人たちが教えてくれる広大で深遠な智恵に心の底から感動・感謝の気持ちが湧きます。


易経は誰が創ったの?


易経を創ったのは誰か一人の力ではなく、約七〇〇〇年と言う長い時間をかけて、伏羲、周文王、孔子の三聖による共同作と言われています。

易経は無極から太極、太極から陰陽、陰陽から八卦、八卦から六四卦に演化・展開して、物事の発生・生長・成熟・収斂・貯蔵、という万物の変化の法則を解き、命あるものの栄枯盛衰の摂理を示しています。

上古時代(約七〇〇〇年前)に伝説的な中国最古の三皇の一人である伏羲が仰いで天の運行の状態を観察し、伏して大地の形勢を見ながら、陰陽の符号を作り、八卦の図を創造しました。八卦は陰陽の変化によって生み出した八つの自然現象(天地風雷水火山沢)を象徴します。

六四卦については、中古時代、周文王が殷紂王によって牢屋に捕らえられた時に創られたもので、八卦と八卦を上下に合わせて六四通りの自然現象を通して、人生で起こりうるさまざまな場面・時・状況・立場から「吉 凶 悔 吝」という言葉を通して原因と結果の法則を示し、私たちにどうすれば道から外れないのかを教えてくれているのです。

当時周文王が牢屋に捕らえられ、自由を制限されている中で書いた一字一字は良く吟味され、占いのような神秘的な言葉にせざるを得ない事情もありました。後世の易研究者にとっては、その真意を解明するのに、無限の想像力を働かせたのではないでしょうか。多くの学者がさまざまな解説をしていますが、易経はどんな勉強の仕方が正しいのか決まりがありません。
周文王が牢屋で書いた難解な文字は、人によってさまざまな解釈をし、それぞれ異なる悟りを得るのもとても味わい深いところだと思います。

孔子は五〇歳から「易経」を愛好し、64卦をさらにわかりやすく解説した易伝(十翼)編纂しています。十翼には彖伝、象伝、文言伝、繋辞伝、説卦伝、序卦伝、雑卦伝に分類され、易経本文の注釈や易の理論を解説しています。孔子は竹簡を綴じたなめしがわの紐が三回も断ち切れるほど、易を熟読していたそうです。
そして晩年「私は数年の生命を天から仮(か)し与えられて、今までのように易が勉学ができるならば、易理に於いては完美して、大した過ちを犯すことがないようになるだろう」と言い残しています。

易経を学ぶ目的は

64卦では、どうしたら、人生が吉になるのか、凶になるのか?これを周文王はさまざまなシチュエーションで私たちに教えようとしていますが、実は人生において誰もが吉と凶を繰り返し体験しているのが自然な状態と言えるでしょう。
良い状態の時についに油断し、学びを吝(お)しんで凶に転じ、凶になったら悔い改め学びまた吉に転じる。これもどうしようもない自然の規律かも知れません。

人生には回り道があっても、近道はないものですね。誰もが失敗を経験しながら成長をしていきます。万事塞翁が馬とも言われ、逆境にあたり苦しい時こそ、学ぶきっかけを得て、
人生が好転していくことが多いのではないでしょうか?

ずっと守られた環境で生きて来て、何も失敗を経験していない人生こそが学びのチャンスを得られない「凶」かも知れません。

易経は人生について学ぶ上での最高のテキストだと私は思います。正しい道を歩くには正しい基準が必要ですが、その正しい基準を易経の中でさまざまな自然の因果法則を通して私たちに示してくれています。

天道・天理と言う「不変」をもって現象化した「万変」に対応するということが、易が教えてくれようとする「道」ではないでしょうか?

よく易を為めるものは占わず。
易を学ぶ目的は、自然の変化の法則を学び、運命を知るだけでなく、自然の規律を応用して、凶吉を超越して、運命の主人になることです。
吉の状態の時に凶に転じる兆しを感じ取っていたら、凶の時にこれが吉になるスタート時点だと知っていたら、私たちはいつも謙虚に、そして将来に希望を忘れずにいることができるのではないでしょうか? 吉も凶も絶対的なものでなく、変化するものだと分れば、心の安定にもつながります。

手を伸ばせば、すぐそこには「易経」という人生最高のテキストがあります。
しかし、その教えを授かるには真剣に「道」を探究する心の姿勢があるかどうかが試されているような気がします。

人生をゲームだとしたら、最高にゲームを楽しむ為のルールを7,000年と言う長い時の流れの中で聖人たちが書き残してくれたことに心から感謝申し上げたいものです。

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