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〜介護業界を元気に〜

介護従事者向けパーソナルトレーナーの井上です。

私がこの活動をしている理由は、仕事の忙しさから自分自身の管理を怠って20キロ太ってしまったり、体型のバランスの悪さで腰痛を発症、何度もぎっくり腰を繰り返し、ストレスで暴飲暴食し痛風も発症してしまいました。
そしてずっと元気でいると思っていた母親の病気、様々な病気により人生を大きく変えてしまった利用者様を見てきたからです。


自分自身気をつけなければいけないと思っていましたが、健康に関しては後回しで、若いしまだ大丈夫、なるようになる、何も起こらなければ健康だと思っていました。
健康を害して始めて健康であることの意味に気づき、将来への不安を感じる様になりました。健康に問題を抱えてしまい、いつまで働けるのか?という疑問が常に頭の中に付きまとっていました。

私も介護現場に身を置いてきて、常に人手不足で体力的にきつく不規則な生活を強いられる、日々命と向き合う責任感やストレスも多い中で利用者様のために笑顔で働く人たちをリスペクトしています。
だけどその中で自分の体の痛みや体調、体型の体の不安を覚えて、仕事でパフォーマンスを発揮できない人が多く、利用者様にとっても良くないと感じています。

その過酷な環境下で働く人達にとってコンディションを整える事はとても難しいことだと思います。利用者様の状態が日々変わる中、疲れやストレスでコンディションが下がれば、判断力や集中力が低下し、最善な判断ができなくなり、最悪の結果を招く可能性もあります。
また、自分自身の健康を理由に退職される方もたくさんいます。

そのため、運動、栄養、休養のサイクルを回し適切なコンディションを整えることが大事になってきます。

そんな思いから、介護従事者向けパーソナルトレーナーとして活動しています。

今回はそんな私のストーリーを紹介致します。
ぜひお読みいただけると嬉しいです!

幼少期~学生時代

私は1987年1月17日に、母の実家がある広島県呉市で生まれました。生後、私は当時両親が住んでいた京都府長岡京市に住むことになりました。子供の頃は、おとなしくて人見知りで、よく泣いていたことを覚えています。

幼少期



私は幼稚園入園を前に、両親と一緒に滋賀県大津市に引っ越し、新たな生活がスタートしました。私は人見知りな性格もあり、馴染めない様子もありましたが、徐々に環境の変化にも対応し、友達もできるようになりました。

小学生になると、より活発になっていき、いっぱいご飯を食べるようになり、どんどんと太っていきました。そのため、小学生の運動指導に引っかかることもありました。

太っている容姿をからかわれたりすることで、自信のない子になっていってしまいました。

3人兄妹


しかし、小学4年生でスラムダンクに憧れ、バスケを始めました。その魅力に取り憑かれ、今でもバスケを続けています。太ってはいたものの、運動神経も悪くなく、体を動かすことが好きな学生時代を過ごしました。

私は高校時代に一つの転機を迎えました。バスケで走り続けられる体力をつけるために、ランニングをするようになりました。すると、どんどんと痩せていき、体つきが変わり、何か言いようのない自信がでてきたのを覚えています。

体が変わることで、心が変わることも分かった瞬間でした。この頃から、どんどん性格も明るくなっていきました。

高校時代



私は高校卒業後、大学に進学しました。そこで友達からネットワークビジネスの話を聞き、不労所得が得られるという話に心が震えました。

こんなことをやらない人はいないと思い、すぐにネットワークビジネスを始めました。最初は誘った人がすぐに始めてくれたりと、上々の滑り出しをしましたが、それからは中々うまくいかなくなり、自分の誘った人も辞めてしまい、自分にはできないと思っていくようになりました。

若くて怖いもの知らずで、何でもうまくいくと思っていた自分に、人生初の大きな挫折を味わいました。

ただ、その挫折からも学びを得る事があり、失敗を活かすという事、チャレンジする事への大事さを学びました。

フリーターから意外な道へ

それからは大学も辞めてしまい、フリーターとして飲食の仕事をしていました。何も考えずバイトして遊んでの繰り返しだったので、また体型も太っていきました。

フリーター時代


そんな自分に親が声を掛けてくれました。
「自衛隊やってみーひんか?」
突然の言葉になんで?という思いしかなかったですが、挑戦するのもありなのかと思うようになり試験を受ける事を決意しました。

見事試験にも合格し半年後には海上自衛隊になり広島に行く事が決まったのです。それからの半年はあっという間に過ぎていきました。そして出発の日はやってきました。京都駅から新幹線で広島へ。初めて地元から離れる不安の気持ちしかなかったのを覚えています。電車を乗り継ぎ呉に到着して自衛隊の隊舎に向かう足取りがとても重かったです。

到着するとすぐに身体計測をされ散髪屋へ。人生初の坊主頭になりました。
その後これからの生活の説明をされ教育隊としての生活が始まりました。朝6時の起床チャイムから1日が始まり、座学での勉強や筋トレ、水泳、柔道、実践訓練など様々な体験をしていきました。

最初の1週間は恐怖で泣きそうになりながら親に電話していましたが、徐々にその生活にも慣れていき肉体的にも精神的にも逞しくなり、半年間の教育隊での生活が終わりました。

大変な環境を乗り越えたという事の自信、体が変わる事でも大きな心の変化をここでも感じました。

教育隊での生活が終わり各自護衛艦や、潜水艦へ配属され仲間と離ればなれになり新しい生活が始まりました。

教育隊の卒隊式


私は護衛艦への配属となり、海の上での生活を始めました。海の上での生活は思っていた以上に過酷なものでした。常に船酔いとの戦いで、その気持ち悪さの中で仕事をしていました。ひどい時はベッドの上で動けなくなるほどきつい状態でした。

さらに、真っ暗闇の船の中で仕事をすることで精神的に疲れ果て、鬱になってしまいました
夜の真っ暗闇の海に飛び込んでしまったら楽になるだろうかなどと考えてしまうようにもなりました。

私は極限状態に達し、親に仕事を辞めようと相談しました。しかし、彼らは泣きながら「何でそんな事言うんや?せっかく安定したとこに入ったのに」と言いました。彼らが私の気持ちを理解してくれないことにショックを受け、理解されないことがもっとも辛いことだと気づきました。

バスケでのアキレス腱断裂

短い期間でしたが自衛隊生活が終わり地元に戻ることになりました。自衛隊を辞めるまでの間は、不安や焦りの気持ちしかなく、夜もなかなか寝つけない事もありました。しかし、親も辞めたことを受け入れてくれ、徐々に精神的に回復しました。

1度家から出て行った自分を、『帰っておいで』と言ってくれた親には感謝の気持ちしかありません。

滋賀に戻り新しい仕事について、プライベートを楽しんだり、心も回復していきました。

バスケ仲間


そんな調子が上がっていくかと思っていたとき、バスケットを楽しんでいたところ、走ってボールを追いかけているときに、ブチッという音とともに床に倒れました。
一瞬の出来事に何が起こったのかもわからない状態でした。

その時は、何も感じずにいましたが、少し時間がたつとアキレス腱に強烈な痛みが走ってきました。
自分で歩くこともできず、やたらと冷や汗が出てきたのを覚えています。嫌な予感だけが頭をよぎり、病院に行き診断してもらうとアキレス腱断裂と言われました。
自衛隊生活で体を酷使し、思っていた以上にボロボロになっていたこともありました。また、若さに任せて、準備運動や運動後のケアを怠ってしまっていました。
そのことに後悔し、絶望しました。再就職した職も失い、治ってきていた心までまた病んでしまい、いつ完治するか分からないという不安に押し潰され、塞ぎこんでしまいました。

介護士を志すきっかけ

アキレス腱断裂してからは何もする気が起きずただひたすら何もせず時が過ぎるのを待っているような状況でした。しかし、自分の体の不自由さ、特に風呂に入るのが大変だと感じ、体が不自由で困っている方を助けたいと思い介護士を志しました。

そこからリハビリに全力で取り組むことを決め、徐々に足の調子もよくなっていき自信になりました。今思えば、最初から真摯に怪我と向き合っていれば、もっと早く回復できたかもしれません。

何事も前向きに取り組む事で、変わる事ができるという事を怪我から学びました。

介護の世界へ

私は、介護の世界を志し、訪問入浴という仕事を始めることに決めました。最初は慣れないことが多く、戸惑うこともあり、利用者様の前でも慌てる場面もありました。加えて、厳しい指導に挫けそうになることもありましたが、この上司からの言葉でやるしかないと思う様になりました。

『仕事して1日目だろうが10年経って様が、お客様にとってはプロなんや。』
常にこの言葉を心に持つ事でお客様の前でも堂々とする事ができる様になりました。

そして何よりも利用者様からの「ありがとう。気持ちよかった。」という言葉が、私にとって励みとなりました。

利用者様と


私は、必死に頑張り続け、周りからも利用者さんからも認められるように努力しました。

そして、それが実を結び、信頼ある職員としての地位を築くことができました。

そして、私はプライベートでも結婚や子供が出来たり、生活面でも充実した日々を送ることができました。

長男誕生

母親の脳梗塞、脳出血

ある日、仕事中に普段は連絡してこない妹から、突然の電話が鳴りました。その電話に出ると母親が脳梗塞で倒れ、救急搬送されたという知らせでした。

幸いにも妹がいるときの出来事だったので、意識もあり会話ができるような状況でした。その様子を見て安心し、ほっとしましたが、夜中に反対側の脳に出血が起こり、事態は急変しました。
意識もなく呼吸器を口から入れられている状態でした。自分の親はいつまでも元気でいると思っていましが、それが崩れ去った瞬間でした。

仕事が終わったあと、病院にお見舞いに行っては、どうすることも出来ない悔しさに、母親の横で泣いていました。
仕事柄色々な病気の方に触れることはありましたが、より健康を害する事への恐怖を覚えた出来事でした。

管理職へのステップアップ 事業管理>自己管理

私は、仕事面では順調に昇進し、新規事業所の管理を任されることになりました。管理することの大変さを知り、現場でスタッフと共に働きながら、利用者様の管理やケアマネージャーとの連絡など、業務が増えて毎日8時から23時頃まで働くことが当たり前となりました。

それでも、私の頑張りは報われ、利用者様も増え、会社からも評価されました。毎日忙しいながらも、充実した日々を送ることができました。

しかしながら、その忙しい日々の中で、自分自身の管理ができず、ストレスもたまり、体重が15キロ増え、体のバランスが崩れて腰痛が出るようになりました。

長時間の介助や利用者様の移乗、そしてストレスなどが原因で、ぎっくり腰を繰り返すようになり、痛み止めを服用しながら働かなければならないこともありました。このような悪循環のループで、腰痛が治まることはありませんでした。


その結果、ある時私はこんな感情を抱きました。
「このまま訪問入浴で一生働けるのだろうか?」30代になり、未来を見据えると不安しかなくなっていきました。

転職~認知症デイサービスへ

人生には様々な選択肢があり、時には大きな岐路を迎えることもあります。30代半ばでの転職はその一例でした。新しい職場では認知症の方々と関わることになったが、その病気の厳しさを実感することになりました。

日々自分でできていたことができなくなり、家族のことを忘れてしまう事などが、当たり前になってしまった世界に触れました。しかし、その中でできることを提案し、その人らしい生き方を見いだすことが、やりがいを感じる要因となりました。そして何よりも、家族の方々が対応に喜んでくれることが、最も嬉しい瞬間でした。

痛風

新しい職場での業務にも慣れてきたが、ストレスも多く暴飲暴食することもしばしばありました。そのため、運動不足も相まって体重がますます増えていきました。

ある休みの朝、子供を保育園に送る途中、足に痛みを感じました。しばらくすると治るだろうと思い、そのままにしていたが、徐々に痛みがひどくなっていき、最終的には立ち上がることすらできないほどに痛みが増してきたため、病院に行くことにしました。骨に異常がないことが診断され、そのとき医師から尋ねられたのが、「尿酸値が高いと言われたことはありますか?」という質問でした。自分は尿酸値が高いことは分かっていたが、若いから大丈夫だろうと思っていました。

しかし、痛風を発症していると診断され、自分のライフスタイルの悪さに気づくこととなりました。健康の大切さを身をもって実感することになり、ライフスタイルの改善を始めました。運動を取り入れ、お酒を辞め、食事量などを見直すと体重が落ちていき、結果的に10キロほど痩せることができました。

自分の健康を大切にすることが、今後の人生をより豊かにするための大切なステップだったのだと思います。

腰痛の克服

私は、人生で様々な怪我や病気を経験してきましたが、腰痛だけは治らず、整骨院に通ったり矯正治療を行ったりしても、一時的な緩和しか得られず、しばらくすると再び痛みが出てくるという繰り返しでした。

そんな中、ある人との出会いがありました。その人は、体の土台を作ることで腰痛を根本的に改善できると教えてくれました。私はそのアドバイスを実践し、体の土台作りに取り組みました。すると、体が軽くなり、腰の痛みも軽減されました。

体の土台づくり

さらに、仕事でも生産性や効率が向上し、周りからの評価も上がり、管理者へとなることができました。プライベートでも子供と思いっきり遊んだり、スポーツも楽しめるようになりました。

違和感、そして・・・

私は管理者に昇進し、デイサービスを担当するようになりました。しかし、働く中で違和感を感じるようになりました。
毎日一時間以上かけて通勤し、仕事量も増えたにもかかわらず、給料が上がらず、管理職として上司や部下からのプレッシャーもあり、会社に縛られて一生働くことになるのだろうかと思うようになりました。

自分の人生を歩んでいる感覚がなくなってきて、若い頃に描いていた理想とはかけ離れた現実に失望を感じました。このままでは後悔すると思い、ネットで色々な情報を検索したり、セミナーに参加する日々を過ごしました。調べた情報や受けたセミナーには怪しいものもありました。不確かな情報に前に進む事が出来ずにいました。

スイッチが入った瞬間

それでも諦めないことでTWAという素晴らしいセミナーと出会い、感銘を受けました。
「健康教育格差のない社会、未来を創る」

自分自身もそうですが、肥満、鬱、大きな怪我、痛風、腰痛、健康などの病気や痛みに苦しみ、健康であることの大切さを痛感してきました。

また母親の病気、介護の仕事を通して、病気により寝たきりの方や認知症になる方など、要介護状態に陥り、自分の人生を大きく変えてしまった人々もたくさん見てきました。

これらの経験から、生涯自分の人生を自分らしく生き抜くため、そして他の人々にも同じような経験をしてほしくないという想いから健康指導者になる事を決意しました。

本講座では、運動・栄養・休養を整えることで、体を見違えるほど変化させるフィットネスの知識や、個で生きていくためのビジネススキル、プレゼンテーションやマーケティングを学ぶことができました。

そしてこれまでの経験と学びを組み合わせ、私は介護従事者向けパーソナルトレーナーとして活動しています。
・忙しくて中々自分のケアができない
・ダイエットやボディメイクしたい
・疲れにくい体を手に入れたい
・いつまで働けるか不安だ
・体中に痛みがある


など悩みのある方はぜひ相談してください。
自分史上最高の体を手に入れ、いつまでも健康な体づくりをしていきましょう。あなたの想いを理解し、寄り添い全力でサポート致します!

井上雄太

※趣味:バスケットボール、マンガ、音楽フェス
※甘い物好き男子、特にソフトクリーム
※ラーメン、お肉も好き
※自分史上最高の体づくりサポートします!

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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