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あの日見たオジサンの名前を…

もしも一生涯で起きうる「奇跡」の回数が決まっているのだとしたら、僕は先日、とんでもなく無駄な“1回“を消費してしまったことになる。
あまりにもドウデモイイので書くのを躊躇ったけど、忘れ去ってしまうには惜しい気もするので、書き残すこととした。インターネット上の、塵。

時刻は大体、午後3時半。僕は最寄り駅で、渋谷へ向かう電車を待っていた。
半端な時間ということもあり、ホームに人は多くなかった。

スマホを触りながらぼーっとしていると、何やらヤバそうなオジサンが僕の近くにやってくるのに気が付いた。

フラフラした足取りで、身にまとった服はボロボロ。目も虚ろで、見るからに怪しい!という感じだ。
僕は一瞬警戒したものの、オジサンは人に絡んだり喚いたりする様子はなかったので、すぐに視線をスマホに戻した。すると視界の端で、近くの列に並んでいた、やたらと長身の、これまた別のオジサンが、逃げるようにどこかへ行ってしまうのが見えた。

逃げ出したそのオジサンの顔は見えなかったけど、緑のアウターに茶色のキャップを被っており、その長身も相まって、“逆さにした「木」”みたいだ…なんてくだらないことを考えた。

まぁでもそんなのは、日常の些細な出来事に過ぎない。
到着した電車に乗るころには、“木のオジサン“の事などすっかり頭から消えていた。

僕がその日渋谷に訪れたのは、誰かと会うためでも、映画を見るためでも、食事をするためでもなかった。なんとなく思いついて、あんまり行ったことのない場所を、散策がてらに選んだだけだった。

とりあえずスターバックスに行った。
デカめのサイズのラテを頼んで、一時間半ほど本を読みながら居座った。


その後スタバを出て、今度は本屋に向かった。
さすが渋谷。規模も大きく、色んなジャンルの本が何冊も大量に並んでいる。
ウキウキしながらいろいろ眺めていたら、一瞬で一時間ほど過ぎていた。

外に出ると、小粒の雨が降っていたものの、傘を差している人はまばらだった。
まだ帰るには少し早いかと思って、服屋を二、三件ほど巡った。若者の街と呼ばれるだけあって、お財布に優しい安価なブランドが多い。と言いつつ、何も買わなかった。

気が付くと、時刻は19時半を過ぎていた。さすがに腹も減ったので、帰ることにした。
駅のホームに着くと、丁度まもなく出発しようとする電車が止まっていたので乗り込んだ。
さすが副都心。人が多い。ギュウギュウという程でもなかったけど、つり革を掴む腕が、隣の人と今にもぶつかりそうで、神経を使った。


ここまで、まったくもって「奇跡」は起きていない。
そうだ、奇跡というのは、まったく予期していないからこそ奇跡なのだ。
“ソレ“は、突如として目の前に現れるのであった…。


電車に揺られること数十分。ようやく最寄り駅に帰ってきた。大勢の人をかき分けてホームに降り立った僕は、目を疑う光景を目にした。


あの「木のオジサン」がいた。


確かに、僕の1mほど前を歩いている。

別人だろうと思ったけど、やけに高い背と特徴的な配色の服装は、数時間前に渋谷に向かうホームで見たものと、間違いなく同じだった。
僕は4時間越しに、木のオジサンとホームで再会したのである。

こんな恐ろしい偶然があるものだろうかと、驚愕した。
いくら最寄り駅が同じだとはいっても、僕と木オジは、全くの他人だ。行きの電車で僕は渋谷で降りたけど、木オジがどの駅で降りて、そして何をしていたかなんて、知るよしもない。それに僕の最寄り駅は沿線が入り乱れる乗り換え地点でもあり、時間帯によっては、乗り降りする人数が半端じゃないことになる。知り合いであったとしても、見つけるのはかなり困難だ。

それなのに、木オジは僕と全く同じダイヤの、全く同じ車両に乗り込んでいて、しかも僕のちょうど目の前に来るような位置にいたのである。

僕が一本でも電車をずらしていたら、もしくは別の車両を選んでいたら、もしくは渋谷であと一件別の服屋、あと一冊別の本、もうワンサイズ別のラテを選んでいたら…
僕は木のオジサンの存在を知ることはなかったのだ。

同じことが、木オジにも言える。
4時間近い間、彼がどこで何をしていたのか、それは永遠に分からない。ただ、木オジの一挙手一投足が、この神がかり的な巡り合わせに影響したことだけは確かだ。

そう、これが僕の身に起きた、とんでもなく無駄な「奇跡」の正体だ。

数時間の間に生じたあらゆる選択肢とその結果が、僕と木のオジサンを再会へと導いた。
面白いのは、木オジは常に僕の視界の前にいて、僕の事など一切関知していないことだ。
僕だけが木オジを見て、この糞どうでもいい奇跡に興奮していたのだ。

改札を出てすぐ、この些細かつ果てしなくどうでもいい「奇跡」を友人に急いで報告した。返ってきた反応はとても薄かった。当然だ。

おわり

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