鉛色の空
横断歩道を渡りながらタバコを吹かす中年男性を見て関西に帰ってきたことを実感した。
奈良は相変わらず鉛色の空で、行き交う人々の言葉は東京と比べると訛りがすごい。(これは鉛と訛りでかけたかっただけやね。)
父と久しぶりの会話はいつもと変わらずどこかよそよそしく、それでいてどこか温かった。
きっとそれが父なりの愛というものなのだろう。
年月は時速200kmで目紛しく進んでいて、もうこの世にいない家族も多いのに、実家の様子は俺が子供だった頃から何一つ変わっていない。
そのことがなんだか怖くなって、いつも逃げるように奈良を後にしてしまう。
嫌なことも悲しいことも苦しいことも全て受け入れる必要はないのかもしれない。
というか、受け入れることなんてできない、とすら思う。
ずっと味が続くキャンディみたいに、苦いも甘いも味わいながら、生きていくんだろう。
なんてことを思いながら東京に帰っている。
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