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YOASOBIと出会う

ごく私的な記録として書き留めておきたくなった。YOASOBIという何者かに接近遭遇した衝撃の過程を、曖昧とは言え、なお記憶がそれなりに定かに違いないうちに。

CDTVを毎回、録画して目を通すようにしていた。CDTVという番組の存在様式自体どうなのよというのはともかくとして、いちおう世の中の流れについて、少なくとも音楽については追随できていなくても、大きく取り残されないくらいの努力はしているつもりだった。

いつからだったろうか、不思議な曲が耳のどこかに引っかかるようになったのを覚えている。それがへんてこなもの、どこか違うという感触は認識できたような気がするけど、たぶんぜんぜん理解できなかった。「夜に駆ける」との出会いはそんなだったと思う。類似の曲、たぶん「ハルジオン」や「たぶん」もどこかでランキングに参加してきたような気がするけど、そんな応援があっても認識自体は変わらなかった。

転機はその後のCDTVによってもたらされた。なんとなく気にはなるけど理解できない、違和感に似たぼんやりとした認識だった「夜に駆ける」の印象が劇的に変わったのは、MVの映像がアニメから女の子の歌唱に変わったときだった。

いきなりではなかったけど、何週かにわたってアニメのMVではないその映像を見せられるうちに、言わば説得されるように、もしくは洗脳されるように、「夜に駆ける」の分からなさがコペルニクス的に転換した。突然のように「夜に駆ける」は革命的な曲に聞こえ始めた。言ってみるなら「夜に駆ける」が私的な認識として受肉した瞬間だった。

そんな「説得」に圧倒的に貢献したのは、その驚異的な歌唱力はもちろんだけど、Ikuraさんのヴィジュアルにあったことは正直に書いておこうと思う。個性的でありながら抵抗感の一切ない、誰からも好まれるであろう可愛らしさと言い切ってしまおう、その歌う姿はやはり衝撃的だった。

当初はこの映像の由来が分からなくて、CDTVのライブ!ライブ!のものか何かと勘違いしていた。ライブ!ライブ!の方は視聴していなかったので、勝手にそう思い込んでいた。この映像が “THE HOME TAKE” (“THE FIRST TAKE”) のものであるのを知ったのは、さらに時を下ることになる。

オフィシャルのアニメ版MVはまったく刺さらなかったけど、この“THE HOME TAKE” バージョンの歌唱は、あまりに圧倒的だった。これで一気に「夜に駆ける」沼に落ち、そこからYOASOBI沼に填まるまでに、もはや時間は必要なかった。

YOASOBI沼にどっぷりと浸かりはじめるとともに、それでもなお、だまされないぞ的な警戒感はどこかにくずぶっていた。こういった自己保身的な無意味な抵抗感というのはありがちなものだと思うけど、それも「アンコール」「怪物」「優しい彗星」と矢継ぎ早に放たれた刺客によって蹴散らされてしまった。

紅白歌合戦でのバンド演奏と生歌の初披露では、なおライブへの不安感が残ったけど、それも CDTVライブ!ライブ!、 “KEEP OUT THEATER”、“THE FIRST TAKE” に連続して投下された「群青」と「優しい彗星」という畳み掛けによって、あっさり払拭されてしまった。以後、現在に至るまで底なし沼状態から逃れられないでいる。

これは何なんだ。そんな疑問に対してネット社会は優しい。AyaseさんがボカロP出身であること、そしてボーカロイド音楽というガラパゴス文化の存在が、ここでようやくにして視野に入ってくることとなった。

もちろん初音ミクは知っていたし、「千本桜」くらいは常識として聞き知っていた。けれどもボカロがダーウィン・フィンチのように進化し、そして衰退していった、そんな歴史はほとんど知らなかった。正直、代表的なボカロ曲を今更聞いてみても、やっぱりちょっと受け付けない感じ。知らなかったとしても不思議ではないかな。

けれども容易に理解できたこと、それはYOASOBIがそのボカロ文化の正当過ぎるまでの後継者だろうという認識だった。恐竜が滅びて鳥類が進化したかの如く、ボカロ文化の遺産から突如、それこそ彗星(aikoさんの表現を借りれば「隕石」)の如く現れたのがYOASOBIだったと。

いや現実の歴史の常としてその後、そんな単純なものではなかったことも次第に認識されてきた。米津玄師さんがボカロPだったという歴史背景を知って、呆然となった。一時「夜好性」という言葉が提唱されていたことも事後に知った。「ぷらそにか」という存在もようやくにして知った。

そうして朧気ながらに、全体像が見えてきたような気がする(←イマココ)。結果的にではあるけど、YOASOBIとは、意図せざる多元方程式の未知の解だったという認識にたどり着いたように思う。分野を問わずそのような意図せざる「試し」は、極めて稀だけど、時に圧倒的な革新へとたどり着くことがある。

オフィシャルが語ることを信じるなら、まずは思い付きのプロジェクトとしての"monogatary.com"を始めたことが出発点となる。おそらくはこの時点で、「ものがたり」という概念の歴史的背景、とりわけ日本というハイコンテキスト文化の特性を、少なくとも”Sony Music Entertainment” サイドは深く意識していなかったんじゃないか。意図せざる初手にして、気づかれない妙手、プランク定数の如く極小にして決定的だった一つめの次元。

次に、コンポーザーとして新進気鋭のボカロPであるAyaseさんに声がかかった。このあたりの経緯はイマイチ不明瞭だけど、深読みとかして立ち入るまでもないし、結果オーライ。後に明らかになるけど、Ayaseさんは圧倒的なメロディーメーカーにして、稀代の作詞能力にも恵まれるという、類い希な才能の持ち主だった。曲と歌詞という当然の必要条件にして、これが二つめと三つめの次元。ちなみにAyaseさんのヴィジュアルも四つめの次元にして良いかも。

そして決定的となったのが受肉者としてのIkuraさん。今更ながらに「ぷらそにか」の映像を遡ると、確かに素晴らしいボーカリストであるという認識にはなるだろうけど、たぶんそこまでなんじゃないか。シンガーソングライター幾田りらとしての評価はまた別だろうけど、どうだろう、私的には最新曲の ”Answer” が出るまでは微妙だったんじゃないかと感じてしまう。少なくともそのままだったら、決して「原石」であるとは気づけないように思う。

勝手な推測だけど、Ayaseさんはボーカロイドの特性、とりわけ欠点を強く認識していたんではないか。ご本人もバンドのボーカル担当だったとのことで、ボカロの限界が、正にその声にあると気づいていたんだろうと思う。

ボーカロイド音楽がガラパゴス的に高度の進化を遂げたのは、とりわけ歌い手の都合を一切気にしなかったからという認識で間違いないと思うけど、だからあり得ない楽器演奏や過剰な音域の広さ、ブレス無視、早口や跳躍を駆使した自由で複雑な音楽が展開された。

と同時に、その自由を最大限に担保してくれていたボカロの声こそがボカロの制約だった。限界だった。ボカロの声は決して大衆にはなじまない。

そこに天恵の如く現れたのがIkuraさんだった。倍音成分の豊かな柔らかく優しい声質にして、であるにも関わらず鮮やかなブレスと1音1音の発音が際立っていて、音階もリズムも極めて正確という、ボカロの欠点をきれいに払拭して、なおかつボカロの優位点をしっかりなぞれる、そんな奇跡のようなボーカリスト。しかも、それが奇跡であることには、ボカロの文脈に置かなければ決して気づけない。

Ayaseさんは「直感」と語ってるし、当初はIkuraさんのヴィジュアルも知らなかったそうだけど、その直感は正にそんな正鵠を奇跡のように射抜いていた。これが五つめ以降の次元にして決定的な最後のピースとなった。かくして、多元方程式には解がないことがほとんどだけど、このYOASOBIという名の方程式には、それまで未知だった解が存在した。しかもその解は、人であるが故に日々成長しているという。

YOASOBIという奇跡が現前して、今そこにある。

ほんと、「あとは楽しむだけだ」なんだ。

最後に、こうしてYOASOBIに出会わせてくれたCDTVにはあらためて感謝したい。このタイミングで番組が終了するというのも、勝手ながらに何かの縁を感じずにはいられない。

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