神曲

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「ラブレター」を聞き続けている。"SUNDAY'S POST"での初公開以来、ひたすらに聞き続けている。本来なら正式に配信開始となって、格段に良くなった音質の元で、あらためてしっかりと聞き込んだ上でこれを書くべきなんだけど、なんか上滑りが止められない。もうほとんど病気というか、狂気かな。

それくらいに鷲掴みにされてしまった。私的な好みに過ぎないことを明記した上での言明だけど、これを神曲と言わずして何を言う。それくらいに弩はまりしている。楽曲に泥酔とでも表現してしまいたいくらい。

言うまでもなくYOASOBIの曲に外れなしなんで、これまで公開されたすべての楽曲もまた神曲認定だったけど、「ラブレター」はそんな諸々の神曲群をすら、どこか超越してしまってるように感じられる。ボカロ文化圏とか、楽曲の革新性とか、懐かしさとか、詩的センスとか、そんな「天才Ayase氏」的な枠組みではうまく括れない何か・・・。

何がここまで圧倒的なのか、以下なるべくシンプルに自分なりに原点回帰して、この「ラブレター」という曲を捉え直してみる。

まず真っ先に感じられるのは、ikuraさんの声の心地よさ。これまでも心地よかったんだけど、今回は心地よさの階層が違う感じ。声が心の奥底へと染み渡るだけじゃない。どこまでも優しいのに、柔らかく前へとナッジされる感じと表現すれば良いんだろうか。お節介とかではないさりげなく陽気な肯定感、可能な限り控えめな全能感、あーなんだか分からんけど、いざなわれる声。

次に強く意識されて来るのが、大阪桐蔭高校吹奏楽部による伴奏の重厚さ。"SING YOUR WORLD"で披露されたあのままの、あの圧倒的な存在感、高校生だけが持つことを許される根拠のない肯定感、全能感。その存在全体が醸し出す圧倒的な説得力。

そして、シンプルでストレートな歌詞によって力強く語られる音楽への愛、音楽の全肯定。しかもだ、原作の手紙を書いたのが小学6年生(当時)の少女という、もうどうしょうもないほどの無敵ぶり。

全肯定、全能感、無敵といった胡散臭い観念をそのままでぶつけられても、普通なら強い拒絶反応が起きたり、敬遠されたり、最悪、無視されるだけだろうと思う。けれども「ラブレター」では、それが何の抵抗もなく心の奥底まで届けられてしまう。それを可能にしているのは、言うまでもなくikuraさんの声質と歌唱の存在による。

これまでのYOASOBIの全楽曲でも、ikuraさんの声質と歌唱の素晴らしさは存分に発揮されてきたけど、「ラブレター」のそれは何かの域値を超えて来ているように感じられる。もちろんボーカリストとしてのikuraさんの成長もあるんだろうけど、それ以上にAyaseさんのプロデュース力の凄みを感じざるを得ない。

ファンから見えるところだと、ANNXでのあの丁々発止が思い浮かぶところだけど、Ayaseさんにとっての「今世界でいちばん愛おしいし、憎い存在」への理解は、余人の追随を許さないのは間違いのないところ。ikuraさんこそが、全肯定、全能感、無敵といったおどろおどろしい観念を真っ正直に受けとめておいて、なおかつ押しつけがましさの欠片もない、さわやかな説得力を添えて表現してしまえることを誰よりも知っているんだろう。

だから「ラブレター」の歌詞は、面映ゆいまでに真っ向勝負のど真ん中剛速球ストレートになってる。けれどもikuraさんが歌えば、これで何物にも代えがたい正解となる。

そして「ラブレター」はそんな1曲になっていると思う。

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