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天下統一とは。「システムに組み込まれているという自覚さえなく」合理的に組み込まれていく若者たち 2021年5月19日

天下統一以後に産まれた日本の若者には、世の仕組みに疑問を持つという思考回路自体がなくなる。「東京スゲ~!東京一番!」という完全なる植え付けの元に、人々は日々を積み重ねる。

しかし、わたしはそこに大いに疑問を呈したい。だから、地方にもっとチカラを持ってほしい。

東京モンに華を持たせたくないし、首都にチカラを与えたくない。地方で頑張ってる人にチカラを与えたい。東京にこれ以上大手を振らせてはならない。東京一極集中の時代は終わらせなければならない。地方にチカラを分散させなければならない。

かといって、地方のイナカには、東京に代わるような都市のポテンシャルがない。器でないモノにもまた、チカラは与えられない。

東京の対抗馬になる意欲を持っているのは大阪だけだけど、福岡、兵庫、北海道にはチカラがある。

愛知は私が付き合いづらい。

沖縄もチカラがあるけど、あそこは「元琉球王国」というステータスを持つ楽園で、「日本の大都市」というニュアンスとは少し違う。

京都もお高く止まってる元首都であり、チカラを持たせすぎると東京にチカラを持たせることと本質が変わらなくなる。

なるべく、福岡、大阪・兵庫、北海道にチカラを持ってほしい。特に大阪・兵庫と関わる機会があればなるべく積極的でいたい。

それ以外の都市は、「私が東京に成り代わって日本を先導するのだ」なんて発想が根本的になく、そこでもう器が決定してしまっている。

これが「天下統一」ということ。

徳川家康公率いる江戸幕府が、「私が日本の代表です」と天下統一を果たして以降、それ以外の都市からは、「この国を率いよう」という志を掲げる「担い手」自体が、少しずつ生まれなくなってきた。

それは確かに、安定的な統治には絶大な効果があったかもしれない。が、大志を掲げる者が生まれないということは、少し問題だ。いや、大いに問題ではなかったのか・・・?

若者は、「俺も東京で一旗揚げてやる」と、何も疑問を持たず、流砂に飲み込まれるアリのように吸い込まれていく。完璧に構築されたシステムに、「システムに組み込まれているという自覚さえなく」組み込まれていく。

家康公。私はあんたに歯向かうぞ。

それが世のためと、私は思うからな。

この記事を書いている人

ブログ歴20年のベテラン。文章はほぼ毎日3,000文字はどこかに書いている気がする。
noteを始めたばかりで情報公開の仕方に迷っている。下記のWebサイトに関わっている。


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