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職場に辞めることを伝えに行きました

ついに、決戦(?)の日は来ました。(脳裏でほら貝が鳴ってるイメージ)めちゃくちゃドキドキ😮‍💨してる自分がいました。

おそらくこの不安は辞めることで訪れるかもしれない苦労への恐れからくるのでしょう。しかし現実にそうなるとは限らりませんし、その状況になって辛くなるかもわかりません。当たり前のことですが、未来は誰もわからないものです。

自分の不安を外在化(=客観視)したからでしょうか、必要以上に考えすぎることもなく、職場へ行くドキドキは想定ほどじゃなくなるのを実感しました。これは休んでいる間に、メンタルのセルフケアの本を読んで実践したり、小さな成功体験を積み重ねること(運動やライティングの習慣化など)で、自信を少しつけてくれたこともあるのだと思います。

そう思ったら、職場までの道のりも、時間が近づいてきても、お世話になった人に目を合わせて退職したいと伝えても、想定していた苦痛はありませんでした。念のため主治医からお守り代わりに軽い向精神薬を処方してもらいましたが、服用しなくとも落ち着いて話すことができました。

そして、「今日のことを一生忘れたくない」、そう心から思える日となりました。お世話になった方々がくださった言葉がこちらです。

「元気そうでよかった!」
「決断できない人がいるなかで、自分で決心できたのエラい!」
「ふとしたときに、あなたのしてくれたことに助けられていたよ」
「フラフラしたってええねん、それも経験になるから」         「生きていることが一番大事だよ」
「悪いことのあとには、たくさんいいことが待ってるよ」

ネガティブなことを言われても仕方ない、そう思いながら職場に赴きました。けれども驚くほど、会う人みんな前向きな言葉を贈ってくださりました。無理な引き止めも、決断を否定することも、全くありません。
「辞める」と言って、こんなに祝福してくれたのは生まれて初めてでした。
「もっと頑張れたんじゃないかな」「ここくらい素敵な人に囲まれて働けることなんて、果たしてこの先あるのかな」「もっと私が器用だったらここで働きながらも前向きになれたのかな」―逆にそんな不安が湧いてきてしまうくらいです。

「なんで皆こんなに優しい言葉をくれたんだろう」。家族にそう話すと、「そう言ってもらえるのは、貴方のそれまでに培った信頼関係があったからだよ」と。ちょっとうるっと涙腺が緩みそうになりました。私が辛い中で働いてきたことは、決して無駄ではなかったんだと。たしかに誰かの心に残るような働きができたのだと。

自分がいかに果報者なのかを知ることができた一日でした。がんばっていこうと思います。温かい声援をくれた人たちに、恥ずかしくないように。もちろんときどき気分転換もしながら。

それではまた明日。


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