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『鬼滅の刃』の上弦の壱、黒死牟について(※キャラ批判のため要注意)

最初に言っておきます。黒死牟好きの人はごめんなさい。

でもムカつくんです。あんな天才としかいいようのない弟がいたら歪になるのはわかるんです。
でも、私が許せないのは、「私は一体何のために生まれてきたのだ 教えてくれ縁壱」と最後まで弟のこと以外眼中にないまま逝ったところ。

正直、その最期を見たとき「お前ふざけんなよ、お前のモラトリアムに付き合わされてどれだけの人間が犠牲になったと思ってんだ。無一郎くんや玄弥があんな凄惨な最期を迎えなくてはならない理由なんてなかったんだ」と叫びたくなりました。

彼らに生きてほしかった、無一郎くんには平和な世界を謳歌してほしかった、玄弥には兄の実弥と改めて兄弟として過ごす時間をもっと過ごしてほしかった、実弥に目の前で唯一の家族を喪ってほしくはなかった、その願いのすべてを台無しにした、わたしにとって最低最悪の鬼なんです。

いや、他の鬼だって似たようなもんやん、というツッコミがくることはわかってます。
ただ、他の鬼は自分がいろんな人間を殺してきたことに意識は向いてるのですよ。すぐどんな人間だったか忘れてしまうのでしょうけど。
ただ黒死牟は、すべての行動が弟・縁壱への執着で帰結して、他の人間を見ようともしてない。妻や子供を見捨てたように。弟よりも強くなるために敵である無惨にあっさりと付き従い、それまで仲間だった人を、かつての主君を、殺した。弟以外に対する人間に対して何をしても罪悪感を持たないような行動、その辺りがどうしても受け入れられない。

もちろん、私の独断と偏見に満ちた考えですよ。そうした裏切りに罪悪感を持たなかったかはわからないですし(あまりにも黒死牟の語りが淡々としているので感情を揺さぶられることではなかったように見えるだけで)、当時の戦国時代では己の利のために主君を裏切るのはわりと常識だったそうですから。

なのでそんな弟へのクソデカ感情で人生棒に振った黒死牟。
一方、渦中の人物である弟・縁壱は、そんな目の前の人間に囚われる兄貴と違い、未来のことを見据えて行動している人間なのがなんとも言えない皮肉ですね。このことに気づいた瞬間、性格の悪い笑いがこみ上げました。ここまで読まなくてもわかると思いますが、わたしは性根の曲がりきった陰キャです。

ということで、久々のnoteの文章投稿がキャラに対する毒という、爽やかな休みの朝にふさわしくないドロドロ具合ですが、語ってスッキリしたのでここまでにします。もうちょっと文章投稿頑張りたいなぁ。


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