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自分の中にある『呪い』と向き合う

私には自分でかけたものも含めて、昔から呪いがかかっています。
それは、仕事に関することや、家族に関することであったりします。

自分可愛さに友と離れる
「大学を出たら正社員で働くべき、正社員ではない自分は恥ずかしい、友人にも顔向けできない、だから正社員になるまでは友達と会うべきではない」…こんな極端な思考に至り、事実、公務員試験の勉強のために無職だった間は、中学から続いていた友達との交流を断っていました。

交流を断っていたのはやはり恥ずかしかったから、つまりは自分のプライドを優先していたのです。社会人として正規で働けていない自分を昔からの友人が見たら、どんな風に思うだろう、情けないと思うんじゃないか、みたいに考えていたわけです。

今思うとあまりにも友人たちに失礼な考えでした。彼女たちはそんな穿った考えを持ったりしないし、むしろ正規で働くことに固執する私を心配してくれるような心優しい人たちです。そんな人たちの優しさすら見えなくなるくらい、自分にかけた呪いは根強いものでした。

家族に対する贖罪の意識
また、家族に対しても呪いがあります。
私は公務員になったころ、あることをきっかけに両親と縁切りに近いくらい断絶していました。その頃の私は、両親がしたことを許せず、怒りのままに遠ざけ、年の離れた兄と会うたびに両親の悪口を言ってました。どこかで、自分がされた仕打ちの分くらいは罵ってもいいだろう、何を言っても許される、という自棄に近い考えをしていました。

そうして2年ほど経った後、母と腹を割って話してからはまた両親と交流するようになりました。その間にもう一人の兄に色々あったり、母も慣れない管理職をして苦労をしていたことを知りました。そして一人暮らしの部屋で怪我をしたときは実家で面倒見てくれたり、以前と変わらない様子で接してくれるようになりました。
そうなって急激に襲ってきたのは罪悪感でした。

なぜ、こんなにも優しくしてくれる両親にあんなことができたのだろう。
なぜ、あんなことを兄に言ったりしていたのだろう。
なぜ、家族が大変なときに、何も協力してなかったのだろう。
そんな考えがどんどん湧き上がってきた結果、事情があり一人暮らしをやめて実家に暮らすようになってから、ほとんどの時間を家族と過ごすように自分に強いるようになりました。

帰り時刻が予定より遅くなることにも、それで夕飯の時間が遅くなることにも、休みの日に家事の手伝いができたのに先に両親がしていたときにも、ありとあらゆることに申し訳なさを感じてました。そうならないよう仕事を終えたら一番早く帰れる時間の電車に必ず乗って帰り、休みの日には家にこもって家事を強迫的にこなすようになってしまいました。

それは、かつて両親にしたことの贖罪をするような気持ちでいたからです。
「自分は両親に対して許さないことをした、家族が苦労しているときにのうのうと一人で過ごしていた、だから今後の自分の時間は家族にささげるべき」と。
こんな考えは自分も両親も幸せになることはないのに、やはり思い込みの強い私は半ば本気で思ってました。やはりここでも極端な思考です。

呪いに向き合う
そんな呪いを少し和らげることができたのは、今の仕事をやめようと思ったことでした。
今の仕事をやめるのは将来的に考えてもリスクかもしれない、でも「私は」このままここで働き続けることはできない、そういった自分の本音に気づいたからです。(ただ終身雇用が崩壊し、転職も当たり前になって、副業・フリーランスや在宅勤務など、働き方が多様化したことも背景にはありますが)
自分の本音に気づくことで、自分自身が一番に自分にかけた「呪い」に向き合い、少しずつ受け入れられるようになりました。

もちろんそんな簡単に長年蓄積してきた呪いが解ける訳ではありません。
今も仕事をやめようと思っていることを友人に言うのは恥ずかしかったり、自分ができる家事をしてもらったときはそわそわしてしまいます。
ですが、そんな自分を責めずにただ事実を受け止められるようになったのは、自分の働き方を見直したことがきっかけです。
自分にとって、好きな働き方ができることが「幸せ」。
そんな当たり前のように聞こえるけれども、これまでできてこれなかったことを、できるように生きていきたい。そう思えるようになりました。

昨日から引き続いて赤裸々な自分語りばかりですので、もう少し読まれている方が楽しめるような内容も投稿出来たらと思います。
それではまた明日。

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