僕とそいつ #2

前回の続きです!

そいつはそれから毎日、隙あらば僕に話しかけてきた。今日学校で習った漢字の話、鉄棒が初めてできた話、友達の家に行った話、公園であったおばあちゃんがチョコをくれた話、好きなこの話……。僕はいつも黙って聞き流した。



うるせえなぁ、と思いながらふと浮かんできたことがあった。



喋るのってどうやるんだっけな。



喋り方なんていい加減忘れた。

学校に行っても、担任もクラスメイトもみんな僕を空気扱いする。前の学校でもそうだったし、今の学校に来てもやっぱりそうなった。前の学校ではあった、髪を切られたり、物を壊されたり、隠されたり、捨てられたり、殴られたりけられたり、罵倒されたりは、今はとりあえずない。教科書にらくがきされたくらいだ。まだ。空気でいられるって楽だ。人との関わりなんて、今さら欲しいとも思わなかった。結局はみんな、最初ばっかりはいい顔してて、あとは僕を虐げる対象にしか見なくなる。どう考えたってそうとしか思えなかった。



うるさいなぁ。



再びその言葉が頭を過った。睨みつけてやろうとそいつを振り返ったら、こっちをじっと見ている視線とぶつかった。そいつは僕が今までに見たこともないような、キラキラした笑顔で僕に笑いかけた。









朝のけだるさを引きずったまま、やっとバスに乗り込んだ。今日は施設で、何とかピクニックとかいう、聞いただけで面倒くさい行事があるからだ。別に僕は、誰かと話す気なんてさらさらないし、関わったところで、こちらが害を被るだけの同じ屋根の下の住人達になるべく近づきたくなかった。



目的地に着いた途端、数学の本とサンドイッチの包みをつかんでさっさとバスから降りて、人目につかなさそうな木陰に座り込んだ。





「やっほー! 隣座ってもいいでしょ? お兄ちゃん」



やっぱり来たか。



ちらっと顔を上げて声のした方を見ると、そいつがまたキラキラした笑顔で走ってきた。



「……なんだよ?」



そいつは驚いた顔をして僕を覗き込んだ。そしてにっこり笑った。



「お兄ちゃん初めて喋ったね!」



言われて気が付いた。一体何時ぶりだろう。僕は本を閉じた。僕は僕の今まで生きてきた時間の話を聞かせた。誰かに話すのは初めてだったし、こんな小さいそいつに話して何がわかる、と思ったが、それでも僕は話していた。



小さい頃優しかった両親がある日突然、僕を無視するようになって、どんどんエスカレートしていったこと。そしてそれを〝虐待〟と呼ぶと知った日。両親が逮捕されて施設に保護されたが、そこでも散々な目にあって何度も施設を移ったこと。学校に行くようになったが、そこでもいじめにあい結局一人だったこと。



そいつは僕の傍らで黙って聞いていた。僕が話すのをやめると、またこっちをじっと見ていった。



「ボクがお兄ちゃんのパパとママになってあげる。友達にも先生にもなんだってなってあげる。だからそんなに怖い顔してないでもっと笑ってよ」



それからそいつは僕をぎゅっと抱きしめた。何年ぶりかの人のぬくもりに、ほっと肩の力が抜けていくのを感じた。



そいつの小さな肩越しに、前にいた山の上の施設が見えた。ふと、涙がこみあげてきた。



 誰が泣くかよ。



山の上の施設が視界に入ってしまうのを、押し出そうと空を見た。今日の空はいつもより広くて青く澄んでいる気がした。









それから僕は、毎日そいつと一緒に過ごした。前はそいつが僕について来てうざいだけだったが、今はむしろ僕が一緒にいたかった。ご飯も一緒に食べたり、一緒に出かけたりもした。僕が2人用なのに、締め出して誰もいれなかった僕の部屋は、そいつが入った。



たまに将来の話や、施設を出なければならない時の話もした。施設は18になったら、必ず外に出ないといけない。



「お兄ちゃんは、18になったら何をするの?」



「僕は……心理カウンセラーかな。僕みたいに苦しんでる子を助けてあげたい。お前は?」



「んーまだわかんないよ。出ていくの怖くないの?」



「怖いよ。でもどうしようもない」



「ボクも怖いよ。でも今はお兄ちゃんがいるから何でもできる気がするんだ」



そいつはまだ9歳だった。一生懸命強がっているけど、まだまだチビだ。



僕は初めて、誰かに必要とされることの嬉しさがわかった。なんだかくすぐったいような不思議な気持ちだった。



ただ僕は、そいつ以外には誰1人として心を開かなかった。

つづく

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