僕とそいつ #3 最終回

間が空きましたが、短編小説3回目、最終回です。
連載と言いつつ、分けたら何と3回になってしまいましたが……。最後まで是非お読みください^^*

学校の帰り、いつものように一人で歩いていた。

「お兄ちゃん!」

 顔を上げると道路の向こう側で、そいつがキラキラした笑顔を爆発させて思い切り手を振っていた。

「ちょっと待ってて! ボク今そっち行く!」

 止める暇もなかった。ブレーキの音が辺りいっぱいに響き渡り、小さな体が宙を跳んだ。僕は凍り付いたようにその場から動けなかった。

 やっと我に返った時、救急車や警察は誰かが呼んでくれたらしかった。僕はふらふらと血まみれのそいつのそばに行き跪いた。抱き起して瞳を覗き込んだが、もうその瞳はどこをも見ていなかった。何度揺さぶっても、あのキラキラした笑顔で笑い出すことは二度となかった。

 僕は冷たくなっていくそいつの体を抱きしめた。そうでもしていれば、また目を開けるんじゃないかと思えて仕方がなかった。

 朝も昼も夜も僕の隣は空っぽになった。いつも隣にいて笑ったり、話しかけてきたり、しょっちゅう顔を覗き込んでくる"そいつ"はもういない。

「ちょっと待ってて! ボク今そっち行く!」

最後の言葉とブレーキの音がいつまでも耳から離れなかった。

 僕はまた一人になった。見えない、僕の運命を操る何かは、僕が普通に生きることを許してくれなかった。いつも手が届きそうになった途端奪われる。とっくになれたと思っていたのに、気づけば今日も黒いリボンがかかった"そいつ"を見ていた。

なんでお前なんだ、なんで僕じゃなかったんだ。

僕の心にぽっかり空いた寂しさは、埋まることを知らないらしかった。あのキラキラした笑顔を思い出しては、やりきれない思いが募った。

 僕は駆け出していた。一人になりたかった。拭っても拭っても涙は止まらなかった。それは初めて人のために流した涙だった。

なにげなく開いた本の一ページだった。

「心に傷を負った人は、その傷を克服しなければ、自分が受けたのと同じように人を傷つけてしまう」

 目の前が真っ白になった。克服ってなんなんだよ。事実を受け入れろってことか? だったら僕は全部受け入れてる。今さらいじめなんて、虐待なんて、気にしちゃいない。

 気にしない? 気にしないのと克服は同じなんだろうか。

「じゃあ僕は"僕"と同じ犠牲者を作るために生きているとでもいうのか?」

誰も答えてくれるような人はいない。

「なあ、お前はどう思う?」

買ってきた花を供えて手を合わせる。写真の中の"そいつ"は、黙って見つめ返してくるだけで何も言わない。

僕は一瞬、骨壺に手を置いて、意を決して立ち上がった。

珍しく朝早くに目が覚めた。昨日片付けまくって整然とした部屋を見渡す。いつものように制服を着て、鞄をもって階下へ降りた。

降りた途端、施設のおばさんに鉢合わせした。

「おはよう! 今日はえらい早いね!」

「……おはようございます」

次の瞬間、おばさんが驚いた顔で振り返って、まじまじと僕の顔を覗き込んだ。そして笑顔でもう一度言った。

「おはよう!」

僕はいつも通り食卓について、いつも通りご飯を食べた。出かける前に"そいつ"の遺影の前で手を合わせた。

「ありがとうな、本当に」

お前のおかげで、生きてることが楽しいと思える瞬間が何度もあった。お前に会うまでは、そんなことがあるなんて思ってもみなかった。誰かを大切に思う気持ちを持つ日が来るなんて、思ってもみなかった。お前がいたから、普通に生きる幸せを少しでも知ることが出来たんだ。そう思ったたけで、苦しくて仕方がなかった。

いつも通りだ。騒音と共に流れていく車、無関心に支配された人の波。無機質に同じ点滅を繰り返す信号、自分のことしか考えずに、他人を押しのけて電車に自分を詰め込もうとする会社員、気のないベル……。何も変わらない、いつもの時間と風景が流れていく。

 学校へついても、やっぱり変わらなかった。やっぱり一人のままだ。誰もおはよう、なんて言わない。

 確かに。空気に話しかけるなんて、変人すぎるよな。

 ずっと受け入れたくなくて見ていなかった机の中は、死ね、バカ、消えろ、うざいとかありきたりな言葉が書かれた紙や物があふれていた。それらを見ても何も感じられないほど僕は今、無感情だった。

「お兄ちゃん!」 

いるはずがないのに、声が聞こえた気がした。頬をそっと撫でていく風が心地よかった。僕の生きてきた短くて、とてつもなく長い時間が、走馬灯のように脳裏を過っていく。

 思い残したことはない。僕の背中をそっと押すように風が吹き抜けた。空はあの日のように限りなく広くて青く,澄んでいた。

 あの日"そいつ"の、小さな肩越しに見えたあの施設も、両親も、クラスメイトも、担任も、"そいつ"を、跳ね飛ばして行った運転手さえも、今なら許せる気がした。

 不意にそいつのキラキラした笑顔が浮かんできた。

 ちょっと待ってろ。

下の方で叫び声が聞こえる。次の瞬間、世界は何もない空白と化した。

END

読んでくださってありがとうございました。

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