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「アメリカと3人の孫たち」

アメリカと3人の孫たち
放送 NHK BS1 世界のドキュメンタリー
制作 Lifelike Docs/アメリカ 2018

物語
・舞台はメシキコ・コリマ。登場人物はアメリカという名前のおばあちゃん。年齢は不明だがおそらく90歳くらい。孫の3兄弟。末っ子のディエゴ
次男ロドリゴとその彼女、後から登場する長兄と父。

・おばあちゃんはベッドから落ちて出血して倒れた。介護をしていた父親が虐待と勘違いされ刑務所へ。孫たちが実家に帰り、介護しながら父の帰りを待つことになった。

・駄々っ子のようになったおばあちゃんを、風呂に入れたり、歩行訓練させたり…。男3人の孫たちが、けんかと協力を繰り返しながら介護の日々を送る。

感想
最初見たとき、「登場人物のうち手の空いたものがカメラを回すセルフドキュメンタリー」なのかと思った。最後のクレジットで、彼らとは別の撮影者兼監督がいると分かったのだが、それくらい、現場に作り手の存在を感じさせない、いわば忍術の使い手の作品。こうした作品は、どのようにその術が使われているのか読み解くのがとても面白い。

■映画のような印象
まずドキュメンタリー番組ではなく、ドキュメンタリー映画という印象。番組ではなく映画を作ろうという意志が明確に感じられる(違いは後述)。こうした手法のドキュメンタリーは海外のトレンドのようで、韓国の作品「輪廻の少年」も同じように作られていた。そこに共通するのは、まるで定点カメラのような、カメラマンの存在感のなさ。パーン一発、ズーム一発で壊れてしまう繊細なロジック。でもそれにより、見る側は映像内の世界に直接触れることができるのだろう。

■「映画」を感じたワケ
番組と映画の撮影手法の違いには、明確な基準はないのだろう。では、なぜ映画だと感じたのか整理してみたい。
・音について。ナレーションがほとんどない。BGMもほぼない。音はシーンの現場音と会話のみ。
・映像について、縦横比をレターボックスサイズにしていることに加え、基本フィックス(固定撮影)しかないこと。しかし、この制約と誓約(ハンターハンター風に言ってみました)は作る側にとってはやっかいだ。

■「映画」を成立させる撮影技術
何が起こるか分からないドキュメンタリーの現場でフィックスしかないのはどういうことか。それには舞台となる場所を決めて撮るしかない。何が起こるか予想し、カメラを固定して、待つ。「待ち画(え)」と呼ばれる手法。例えば冒頭のカット。おばあさんがベッドで寝ているウエストショットから始まる。おばあさんが目を覚ます。そこへディエゴがフレームインしてきて、額にキスをする。画角調整はなく、そのサイズで2分くらい?2人の会話が進んでいく…。それも最適なサイズ。魔法のようだな。

おそらくこの作品は、ディレクター兼カメラマンの1人のワンオペ撮影。それでいて、前述の「待ち画」を貫徹するのは並大抵ではない。例えば食卓で孫2人と彼女で会議をしているシーン。
①3ショット「あすは排便ケアの日だ。朝は寒いからシャワーを浴びるのをいやがる」。
②ディエゴの1ショット「ばあちゃんは昔からひどい便秘だったんだと思う…だから自分で何とかしようとしてベッドから落ちた」
③ロドリゴの1ショット「体のことを考えたら自力で排便してもらうしかない…」。
まるで「アクション…カット」と指示を出しているように自然に会話が続いていく。だが、3台のカメラを使ってマルチ撮影しているわけではなさそうだ。なぜなら①と③のカットは同じ場所から撮られているから。つまり、撮影者は1カメで①、②、③と場所とサイズを変えながら、撮影しているとみられる(移動途中の会話はカットか)。レンズについては、ズームのワークがないので単焦点のようにも見えるが、おそらく①と③が撮れるということはズームレンズだろう。カメラはボケ味から言ってスーパー35mmのシネマカメラ、それも軽量な…。いや、こういうことを考えて見るのタノシーっ!あ、すみません。

■作品よりもビジネスでよいのかい?
ドキュメンタリーはビジネスと縁遠い。民放では企画しても視聴率に結び付く企画じゃないと難しいし、予算も撮影期間も明確に決められない。…でもドキュメンタリー「映画」を作るの、想像したらわくわくするな。みんなも作ってみー(*´з`)

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