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学園東町三丁目(7)花の都大東京

平成元年に入学した柔道部の同期は僕を含めて12名。現役合格4名、一浪8名という構成でした。どうでもよい話ですが、五月生まれのヤロサイがその中で最年長でした。

近鉄バファローズが優勝を懸けて川崎球場でのダブルヘッダーを闘い、ソウル市江南(カンナム)地区のオリンピックプールで鈴木大地がバーコフを振り切って金メダルをゲットし、DAIGOのおじいちゃんが内閣総理大臣として組閣を行い、めちゃくちゃマイナーだったサンフランシスコの場末メタルバンドMetallicaが"one"でビルボードチャート一位を獲得し、下血を繰り返されていた天皇陛下が新年早々に崩御され、小渕元総理が官房長官として改元を発表…まさに乱れ飛ぶような世相の中、我々12名は最期の「共通一次試験」を経てサクラサク春を迎えたピカピカの平成元年入学組でした。

代々木ゼミナール福岡校で1年間の全寮生活を経て上京したヤロサイが東京駅に辿り着いたとき、頭の中には長渕剛の「とんぼ」がBGMとして流れていたといいます。

「花の都大東京」というよりはむしろ「新小平の大根畑」の中で競馬やらタバコやら週刊プレイボーイを嗜んでいたヤロサイですが、僕らはどこかで自滅的な堕天使に陥るヤロサイに憧れていたのかもしれません。

今どきの学生に話すと怒る人もいるかもしれません。ヤロサイは夜中に近くのセブンイレブンでバイトをしてますから、校舎から自転車で五分の至近に住みながら朝は寝ております。一・二限の授業に出ることなどは滅多にありません。昼ごろにダラっと小平の生協食堂に現れては美味しそうにハンバーグ定食をブランチなどしているので、自然ヤロサイの周りに同期が集まります。稽古のし過ぎで授業とクラスコンパへの出席率がゼロに近い柔道部員はすでに語学クラスの同級生からは存在を忘れられておりましたので、いつも男だらけの同じ顔ぶれで昼飯を喰らいます。まさに小平刑務所の囚人たちにとって津田塾の女子大生との出会いなど夢のまた夢の中。抽象概念としてのテニスサークルが憎いという汗臭い毎日を過ごしていました。

そんなヤロサイを同期はみなミッフィーちゃん人形のように弄り続けましたが、先輩を含めて僕らは堕天使ヤロサイを心配しながらも実は憧れていましたので、彼を虐める人間は皆無でした。僕は柔道部の人たちのそういうところが大好きでした。(続く)


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