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学園東町三丁目(24)時の流れ

警察学校北通りを更に東へ歩みを進めます。

小平市学園東町にある関東管区警察学校では柴山謙治先生のご紹介にて平成2年の東京都国公立柔道大会を開催しました。柔道場を3面もとれる広い武道場で、ここで「警察柔道」の様々な歴史が生まれたのだと思います。平成2年(1990年)というのは面白い年で、その年の①東京都国公立戦、②東大との定期船(いわゆる商東戦)そして③三商大戦の3つの公式戦すべてにおいて、一橋大学が主管校となる奇跡の巡り合わせがありました。3年生で主務を務めたN並さんは「ハレー彗星だ」と仰っていたことを思い出されます。

警察学校では守谷工務店の大家さん(おばさん)がパートをしていたので、ひょっとしたら、柴山先生は守谷のおばさんが作った食事を食べていたのかもしれないな、と思いながら、警察学校北通りの最果て、アカシア通りにたどり着きます。このアカシア通りと警察学校北通りの交差点には思い出の銭湯「ほまれ湯」があります(下宿は風呂なしでした)。その場所は駐車場になっており、周辺の飲食店が面影を残すのみで妙に寂しい気持ちになりました。

交差点を過ぎると右手に広大な小平団地が広がります。小平団地の最北端には緑地があり、稽古のないときここで一人で打ち込みをしたり走ったりしていた思い出の場所です。道路を挟んで左手には昔ながらの下町商店街が広がります。稽古の帰り、夜お肉屋さんによると、余った総菜を300円でこれでもかと袋につめてくれて、自分の体の半分以上はそのお肉屋さんの脂っこい総菜で成り立っていた時期もありました。でもそのお肉屋さんもすでに跡形もなく、商店の半分以上がシャッターを閉めた状態です。時代の流れを感じざるを得ない情景が広がります。

とうとう守谷工務店にたどり着きました。おそるおそる呼び鈴を鳴らします。誰も答えません。智英さーん、と声を出してみました。誰も答えません。あきらめて、途中のドラッグストアで買ったビールと消毒液を玄関先において、電話番号と名前をメモしてその間に挟んでおきました。帰り際、近くの喫茶店でコーヒー豆を買いながら、お店の方に、守谷さんは最近どおしてますか、と尋ねたところ「・・・」。あまり多くを語りたがらないので、結構です、連絡を待ちます、といって僕はそのままタクシーに乗って国分寺駅を目指し、小平を後にしました。(続く)



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