見出し画像

学園東町三丁目(25)「柔道家」たち

2週間前の5月17日に小平に辿り着いたのはある先輩のおかげでした。

昨年、私は15年間参ったなしで尽力してきたある製品関連業務から外されることとなり、同時に3つのプロジェクトでとても大きな転換期を迎える最中、企画や契約や渉外や出張とはあまり関係のない輸出業務への異動を命じられることとなりました。商社では新入社員がやるというその新しい仕事を覚えようとするうちに心のバランスを崩してしまい、柴山先生や野瀬先生には申し訳ないのですが、令和改元のGW休みを含めて2か月ほど会社を休養させて頂きました。

その間、医師と相談して一切の投薬治療は拒絶し、運動やボランティア活動を通じて自律的な治療を目指すこととしました。製薬企業に勤めながら矛盾していますが、私には家族がいます。息子も受験の真っ最中、一浪で予備校が始まったばかりでした。うつ状態の苦しさよりも脱薬の苦しさや依存について、泰治さんと同様の症状を呈してきた方々の悲しい話を多く耳にしていたからです。

国立で学生たちと柔道をした帰り道、「今国立にいるの?小平の一松に今いるんだけど、よかったら来ない」と声をかけてくれたのがハンドボール部OBのF橋さんでした。外為のエキスパートとして長年金融業界で輸出入や外為業務に貢献されてきた「柔道家」です。F橋さんは奥多摩雲取山での登山の後、まだ元気に開業されている一松のある小平に立ち寄られたのでした。

休職から復職に向けて頑張るときに時間だけはある中、どうしてもしておきたかったこと、それは山に登ることでした。まだ高尾山にしか上ったことがなくどうやって始めようかと途方に暮れているちょうどその時、僕の前にF橋さんが現れました。昨年6月の筑波山を皮切りに、その後奥多摩秩父にて7峰をご一緒させていただいています。尊敬すべき登山の師匠であり、真の「柔道家」だと思っています。

ご所属の金融機関がたまたま弊社のメインバンクということもあり、さらには新しく担当している輸出業務と関係が深いため、F橋さんを講師として招く「輸出塾」を開催する提案を社内でしたところ、すんなりと上司や財務経理部の了承が得られました。二週間前の日曜日、JR三郷駅へ赴いたのはその打合せを行うことが目的でした。

その日まではこの小説を書くことなど予想すらしておりませんでしたが、帰り際、南浦和駅で降りず新小平駅まで来てしまったことで、31年前の平成元(1989)年4月の小平校舎で始まる様々な思い出が鮮やかに蘇り、この2週間は何か自分の力ではない何物かに突き動かされるようにしてこの原稿を書き続けてきました。

余談ですが(司馬遼太郎先生風に)、世界で高名なある音楽家を好きになり、その音楽家の作品を聴きこんで、そこからその音楽家に楽曲を提供した人や一緒に演奏した人を辿ってゆくと、その時代のほぼ大方の名アーティストの名盤を把握することができてしまう重鎮ともいうべき「先生」が何人かおられます。

例えば、ロックの世界ではジョージ・ハリスン。言わずと知れたビートルズのメンバーですが、解散後のソロ活動を辿ると深淵なる宇宙とも言える交友関係が見えてきます(バングラディシュコンサートが分かり易いです)。例えば、ビートルズ6人目の隠れたメンバーといわれたビリー・プレストン(ビートルズ末期のツアーメンバーで、アビーロードやレットイットビーのレコーディングにも参加)。ビリー・プレストンが提供してジョージが歌った曲は数知れず。有名なものでは"My Sweet Load"や"That's the way God planned it"などがあります。ビリーのその才能はとどまることを知らず、ジョージだけでなくジョー・コッカーの大ヒット曲"You Are So Beautiful"の原作者としても知られています。

また、追悼コンサートでこの曲をビリー・プレストンとともに演奏したエリック・クラプトンはクリームやヤードバーズといった多くの「先生」を輩出したグループに在籍したことで知られているのみならず、ソロ活動でもBBキングと共演するなど、さらにルーツを遡った「殿堂」ともいうべき存在です。ヤードバーズを辿るとジェフ・ベックやジミー・ペイジといった70年代ロック界の「四天王」と出会うことができます。これらの交友関係を辿ると他にもキャロル・キングやジェイムズ・テイラーやダニー・ハザウェイやアレサフランクリンやジャクソン・ブラウンやトムペティといった70年代ロックの「柔道家」たちと多数巡り合うことができます。その関係を見ながら音楽を聴き続けると時間を忘れて深淵なる70年代ロックの宇宙の神秘に身をゆだねることができます。

ジャズの世界のもっとも高名な「殿堂」といえば、もちろんマイルス・デイビスですが、1950年代以降、マイルス・デイビス先生と一緒に演奏した「柔道家」たちを辿ると大方のジャズの名作名盤名曲スタンダードはすべて押さえることができてしまいます。

ハードロック/ヘヴィーメタルの世界にもリッチー・ブラックモア先生やグラハム・ボネット先生、そして、オジー・オズボーン先生といった「殿堂」入りをされた高名な先生方が数多くおられます。日本ロックでもはっぴいえんどやシュガーベイブやはちみつぱいやYMOを辿ると多くの「先生」方の妙技に酔いしれることができます。

音楽の世界だけでなく、世界中のあらゆる活動、飲食店業界、ライブ活動業界(大小問わず)、スポーツの各種目(アマ・プロを問わず)、文学の世界、アカデミア学問の世界、金融業界、製薬業界、建築業界、医療界、人材派遣業界、広告業界、その他あらゆる分野でキーとなる「柔道家」たちが存在します。そうした「柔道家」たちがこれまで懸命に努力し決して参ったをせずに築き上げてきたレガシーの上で、現在の世界は成り立っています。そして、これからもこうした「柔道家」たちの頑張りが日本、そして世界の復興を支えてゆくのだと思います。そして、そうした「柔道家」たちを師と仰ぎ、その薫陶を得ながら日々努力する若き「柔道家」たちが日本を突き動かしてゆくのだと思います。傍観者は許されません。

あれから2週間が経過しました。智英さんから電話がかかってきたのは5月30日土曜日の夜9時過ぎでした。(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?