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学園東町三丁目(21)不滅の柔道

「柔道は剣道より2年も早く復活したんですよ。本当ですよ。」

生前、柴山謙治先生は口癖のように繰り返しこう仰っていました。文部省による嘆願書の提出、海外の柔道連盟の発足、そして、講道館の先生方の懸命な働き掛けと「絞め」に対する医学的証拠の提出により、中学校(新制)以上の学校体育の選択教材として柔道が解禁されたのは昭和25年(1950年)12月でした。これに対して、剣道の解禁は昭和27年(1952年)まで待たなければなりませんでした。

論文「柔道の『絞め』技の脳波を主とした医学的研究」はその結論として「危険であるかとの問いに対しては,危険であると答える。何故なら,病的状態の人であったかも知れぬが,絞められて死亡した例があるからである。」と述べています(94ぺージより引用、著者:鈴木 克也、出版者:一般社団法人日本体力医学会、雑誌:体力科学 (ISSN:0039906X)、巻号頁・発行日:vol.6, no.2, pp.75-94, 1956-08-20)。

公益財団法人日本柔道連盟(全柔連)では「絞め落とす」等の根絶に向けて安全指導通知「安全で正しい柔道の普及に向けて~『絞め落とす』『マイッタをしても絞め続ける』等の行為の根絶~」(全柔連発第30-0092号、平成30年(2018年)4月17日付)を発出し、この中で「絞め落とす」「マイッタをしても絞め続ける」等の行為は「一般的、社会通念的見地からも暴力以外の何物でもありません」と定義し、絞め落とす行為を明確に禁止しています。また、全柔連は「柔道の未来のために『柔道の安全指導』(第5版)2020年2月6日」の中で「2.絞め技で落ちたときの対応 ⑷ 予防 絞めで落ちると、脳や脊髄に障害が起こる可能性があるので、練習では決して落とさないように指導します。絞め技が入ったら無理せず「マイッタ」をし、相手が「マイッタ」をしたらすぐに離すようにさせます。絞め技で意識を失うことを未然に防ぐ指導の徹底が重要です」とする一方、「試合中に落ちる事例はしばしば発生しています。絞められたほうも負けたくないのでやむを得ない場面もあります。審判には、落ちる瞬間を見極める判断力と、即座に1 本を宣告して絞めを解除する行動力が求められ」るとしています。現代の柔道においては「絞め技」で「落ちる」ことを認めてはいないのです。

では、嘉納治五郎先生は何故に「危険であるかとの問いに対しては危険であると答え」ざるを得ない「絞め」を柔道に残したのでしょうか。柔術はもともと戦場において武士が矢折れ刀尽き果てた肉弾戦の中から生まれた武術です。嘉納先生は柔術諸派を研究し、柔道として理論化・体系化するにあたり、柔術の中で危険な当身技(あてみわざ)・当技(あてわざ)(柔術天神真楊流の技術を踏襲したもので急所といわれる相手の生理的な弱点などを突く、打つ、蹴るなどの技をいう)を排除されました。しかし、固め技である「絞め」によって「生死の境(死線)」を見ること(すなわち「落ちる」状態になること)については「体育」的側面(健康増進)とは別の「修心」(精神修養)としての意義を見出し、あえてそれを柔道の中に存続させたのではないかと私は考えます。

柴山先生は常々学生に対して「死線を超えて物事に取り組みなさい」と滔滔と説かれていました。例として、若かりし頃、牛島辰熊先生との乱取り稽古をされて、道場の外に転がり落ちても決して稽古を辞めることはなかったそうです。先生はその時の状況を「口の中から血のあぶくが出たんですよ。本当ですよ。」と仰っていました。柴山先生は「『参ったなし』の精神は自分の努力なしに、安易な方に妥協するなと云うことであり、自分の良心に反する妥協は絶対にするなと云うことです」という説明をされていました。学生の頃、寝技乱取りの際に、柴山先生が十分に「死線を超えて」稽古したと納得されるまでマネジャーから時計と太鼓のばちを取り上げてしまい、延々と稽古を続けなければならない時がありました。エンドレス稽古と呼ばれるその稽古の間も、後輩に対して手を抜いていると見るや、竹刀をもって「有備館魂を注入」されることしばしばでした。

「参ったなし」は落ちなさいといっているのではなく、妥協せずに死線を超えて物事に取り組むことで「何物かを掴め」という一橋柔道の精神文化に他なりません。決して全柔連規定や安全指導と矛盾するものではありません。誤解を避けるためにあえて説明させていただきました。(つづく)

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