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学園東町三丁目(3)ピンクスパイダー

新小平駅は降りる人もほとんどおらず、ただでさえ寂しい駅前は閑散としていて、ゴーストタウンの趣きでした。これだけ不要不急の外出は控えるように言われているのに、逆に僕は守谷一家のことが心配で心配で仕方がありませんでした。それには深い深い事情がありました。

一橋学園駅前の大丸土地株式会社が紹介してくれた守谷工務店の賑わいは「天うらら」に棟梁の大家さんが関与した頃から五年後の平成九年に突如として終わりを告げました。平成九年というのはおかしな年で、バブルは弾けて株価も地価もだだ下がりしているというのに世間はまだ「なんとかなるさ」という楽観論が横行していて、まだ世の中には遊び人が沢山いました。しかし、学生は就職難に呻吟し、銀行の貸し剥がしが横行。山一証券の破綻がバブルの残り香漂う風潮にトドメを刺します。年明け早々に神戸で酒鬼薔薇聖斗の奇行が発生、ペルー日本大使館がセンデロ・ルミナソに占拠されたほか、ドーハの雪辱に賭ける日本代表が加茂監督とボロボロになりながら、最後の最後、岡ちゃんの下で野人岡野がゴールを決めるジョホール・バルの奇跡があった年です。

その翌年の五月、hideというアーティストが命を断ちます。X JAPANのギタリストで、ソロ活動を開始し、ピンクスパイダーという曲をリリースした直後の急死でした。死因について謎は多いのですが、公には自殺だったと言われています。

そして…

泰治さんが後を追うようにこの世を去りました…棟梁は腰を抜かしました…誰もが言葉を失いました…あれだけ賑やかで近所の評判の明るい家族から笑いが消え去りました…毎日のように商店街の人たちと笑い合っていたおばさんは一切の世間付き合いをやめてしまいました…

僕はそれ以来、毎年年賀状のやり取りを続けていましたが、今年のお正月は年賀状が届きませんでした。昨年も今年も自分がサボって年賀状を出さないから来ないのだろうと思っていましたが、届かない年賀状のことがコロナ危機の中で気になって仕方がなかったのです。

そして、僕は5月17日の日曜日に、31年前の記憶を頼りに、新小平駅前から学園東町三丁目まで歩き始めました。(続く)


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