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学園東町三丁目(2)天うららの頃

(前回 https://note.com/yhmgc/n/nc2a631abe624 のつづき)

武蔵野線は高速道路でいうと外環道を縫うように走っています。都心から放射線状に伸びる鉄道路線を横串に貫くものですから、沿線は田んぼや送電線ばかりという光景。映画「鉄塔武蔵野線線」で描かれた情景は今も31年前とさほど変わりません。

三郷駅から乗り込んだ府中本町行きの車両は閑散としていて、離れ離れに座る乗客はみなマスクをして俯いています。テレビの「ウルトラマン80」で異次元世界に繋がる車両に主人公矢的猛(長谷川初範)が乗り込んでしまう回(まぼろしの街)がありましたが、その情景そのものの世界が展開されているようでとても不気味です。誰も話さない閑散とした車両にやたら大きい武蔵野線線特有の振動音が鳴り響く中で僕は守谷工務店のことを思い出していました。

下宿人は三人。僕と一つ上の商学部の先輩と日立の研究員という構成。ときどきおばさんから、とても強くカッコいい声で「よういちくん、ちょっと下においでよ」と号令が掛かります。大家さんの居間に行くと下宿人全員と家族が勢揃いして、巨人戦を観ながらの酒盛りが始まります。ビールを注がれながら、学校には慣れたか、柔道部の稽古にはついて行けそうか、どんな本を読んでいるのか、彼女は出来たか、将来の夢は何か etc...とにかくプライバシーも何もない程に根掘り葉掘りすべての個人情報を晒すことが求められます。

長男の智英さんはとてもインテリな細身の大学生。学芸大に通いながら、教職を目指さず心理学を極めようとする自称「ミスターゼロ免課程」。自室でカレーやシチューを作っていると匂いを嗅ぎつけてやって来ては味見をしてもらい、料理について批評をして下さいます。柔道部の僕は秋には一週間おきに五回の合宿があるのでほとんど下宿には帰らないのですが、時々授業の合間に自室に戻ると僕の部屋に何故か智英さんがいて慌てて出て来たりすることもあり、管理人さんとはそういうものなのだ、宝島のようなエロ本は出しぱなしには出来ないな、という誤った認識を植え付けられました。

次男の泰治さんは高校を出て東京瓦斯に就職。ギターが上手でBOOWYやブルーハーツなら弾けない曲はないほどの腕前。僕は古いギターを貸して貰い、ひと通りの簡単な曲が弾けるように手ほどきをしてもらいました。また、当時、下宿人と兄弟の合計五名の中で彼女がいたのは次男の泰治さんだけで、二次会と称して居間から近所の居酒屋に場所を移すと、もうノロケ話のオンパレード。泰治さんの話を聞いて悶々と寝れない夜を過ごしたことが幾度もありました。

大工の棟梁のお父さんは、東京都内の工務店連合組合の代表をしていて、須藤理佐の主演したNHKの連続テレビ小説「天うらら」の実技指導をしたのもこの頃。家の居間には常にお客さんが出入りし、様々な物産品を貰うたびに下宿人全員が召集されて、お土産ものを消費することを求められるという夢のような毎日でした。
(続く)




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