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学園東町三丁目(9)入部宣言

戦前からの高専柔道の系譜を持つ七帝柔道と三商柔道にはもうひとつの大きな違いがあります。それは、②大会開催時期が異なる、という点です。七帝戦は7月開催であるのに対し、三商大戦は11月の開催のため、新入生が戦力になるまで準備を行う期間を十分に確保出来ます。

平成元年3月に6名の卒業生を送り出してしまい、15人抜き戦である三商大戦の定足数に足らぬ12名という陣容だった先輩部員たちは国立から遠征してきては小平で徹底的ともいえる勧誘を行いました。その徹底ぶりたるや戦前の特高警察すら舌を巻くほどの情報力です。私は祖父が仙台一中から拓大の柔道部に進んだ高専柔道の選手でしたので、柔道への強い憧れがありました。ただし、大学で柔道部に入るということは他のものをすべて犠牲にするということも漠然と分かっておりました。ですので、他に興味のあるアイセックやディスクソサイエティやサッカー部や軽音部へ入部する可能性も考慮のうえ、最初に柔道部を見学することについては躊躇しておりました。

昭和60〜63年の高校時代、毎日夕焼けニャンニャンを観ることができる時間に帰宅出来て、毎週水曜日には横浜そごう8階のイエローバックB1スタジオで伊藤政則先生がパーソナリティを務めるミュージック・トマト・ワールドの収録を観てから帰宅していた色白の帰宅部高校生は、柔道の厳しさや現実というものを全くと言って良いほど理解しておりません。授業で柔剣道ラグビーは必修でしたので、後に専修大学の監督まで務めた吉澤君という神奈川県、いや、全国レベルの名選手に頼み込んで、打ち込みでよいものをわざわざ投げ込んでもらったことがあります。払腰の切れ味とその受け身の衝撃度に私は人知れず酔い知れました。とはいえ、高校時代は帰宅部のうえ1年間の浪人生活でなまった肉体が稽古についていけるのか、自分のような初心者は部員にいるのか、という不安でいっぱいでした。

小平生協前で最初に声を掛けて来たのは、すでに私が柔道部に興味を持っていることを内偵していた現在某N本郵船の西並さんでした。体重65キロにも満たない細身の西並さんは私と同じ歳の新二年生、学芸大附属高校卒現役合格の秀才です。西並さんは新入生歓迎委員から新歓カードを横流してもらっていることなどおくびにも出さず、巧みな会話で私の不安や悩みを聞き出します。そうこうしていると、外国人登録証を持参しない不法残留者を取り囲む警察官が一人から二人、二人から三人へと増えてゆくように、模範囚のような風貌をした津田さん、南太平洋に実家があるかの如き外観の長浜さん、はんなりとした京都弁のような関西弁を話す谷川さんという複数の先輩方に囲い込みをされてしまいました。逃げ場や考える余裕を失った私が高校時代や予備校時代の大したことのない話や柔道に対する漠然とした不安を口にすると、大丈夫だよ、みな最初は同じ初心者だよ、一年で黒帯が取れるよ、の一点張り。気がつくと学園西町のキッチン小林で多数の先輩方に取り囲まれてローストビーフ定食をご馳走になっている自分がおりました。思えば彼らは典型的な勧誘詐欺師だったのでしょう。その後も数々の新入生を勧誘し入部させることに成功します。初日に「キッチン小林」で同席した一年生は私以外に三名。堕天使ヤロサイと都立富士高校柔道部出身の初段サイキックソルジャー、そして、徳島出身で柔道二段のO形君でした。

小平で食事を終えると、当時は昭和23年よりこの方そのままで当時は合気道場として供用されていた、かつての「予科」柔道場で稽古を見学します。私はそこで柴山謙治先生という圧倒的なカリスマに初めてお目に掛かることとなります。私の目をしっかりと見据えてニッコリと微笑み、入部もしていないのに、おめでとう、と握手をしてくださいました。これは合格のおめでとうなのか、入部のおめでとうなのか。疑問に思ううちに、いいねえ、若いうちは自分の可能性があるから何でもできるんですよ、本当ですよ、と会って数秒でその和顔愛語に全身が硬直麻痺し、この人に付いて行きたいと真剣に考える思考停止状態となりました。

上級生は新歓期にはさまざまなケーフェイを仕掛け、柔よく剛を制す・小さいものが大きいものに勝つといった演出をします。下木原さんという鹿児島鶴丸出身の軽量級選手に、100キロを優に超える熊本の巨漢河野さんがわざと押さえ込まれています。その姿を見て、満面の笑みを浮かべて、おい、河野、押さえられちゃだめなんだよーっ!と竹刀で喝を入れられている柴山先生のお姿がとても印象的でした。

小平予科道場での稽古終了後、一年生四名はそのまま都会的に洗練された二人の先輩、すなわち、国立高校出身の井筒先輩のシビックと海城高校出身の菊池先輩のインテグラに便乗して、裏三幸という国立市東の居酒屋で行われる夜の食事会および部室お披露目のために国立道場に向かいます。この場所を変えて違う先輩と話をさせる、というのも周囲の見えていない新入生に対する勧誘の常套手段であることを知るまでにはまだ私は若過ぎたのかもしれません。

他のクラブ・サークルは全く見ていないまま、ヤロサイとサイキックソルジャーと私の三名はその日のうちに同期12名の先陣を切って入部宣言を行います。横にいた柔道二段のO形君はアホか付き合ってられんと我々を罵りましたが、我々三名は訳も分からず現役部員12名の先輩たちを熱狂の渦に巻き込むこととなりました。(続く)






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