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入院



母に勧められた病院は、新幹線で2時間ほどかかる他県にあった。


私が想像してた、精神科のようなところではなく

もっと自由でのびのびとしたところだった。





その病院は、

「自分で決めて入院して、自分で決めて退院をする」

のが原則で、

家族や医師が無理やり入院させるとかはできないところだった。





初めて、そこの医師と面談した時、優しい笑顔のおじいちゃん先生に

「どうしてここにきた?」

と聞かれ、

私はその一言で、涙腺が崩壊してしまった。



理由を根掘り葉掘り聞かれるでもなく、入院をしようと思ったその訳をただ聞かれ、


「お酒を飲んで、自分を傷つけてしまうから…」

と、私もそれだけを答えた。




先生はふふっと笑い

「お酒が好きなのはいい事だけど、自分を傷つけるのはよくないなぁ」

と言われたので、私は泣きながら

「治したいです」

と答えた。



その後、脳のCTを予めとっていたので、その画像を見ながら

私の脳は偏食によって、人の意見が頭に入ってこない状態になっていると言われた。




確かにあの頃の私の食事は酷すぎた。





そこでは、毎日、決まった時間に起き、決まった時間に食事をし、午前中は、ウォーキングか登山


午後からは好きなことをして過ごすという、変わった病院だった。



もし、朝起きるのが辛かったら、その日は一日部屋の中で過ごすという決まりがあり、

あくまで、規則正しい生活を送るというのが1番なんだと感じた。



入院前はボロボロだった私の肌は、入院中に驚くくらい綺麗になった。



そして、いろんな事情で入院した人と触れ合うことで、

自分よりももっと辛い環境で育ってきた人がたくさんいることを知った。



自分より、酷い環境の人を見て決して安心したわけではなかった。


ただ、そんな環境の中でも、病院で明るく笑う彼女たちがすごいと思った。






私は、入院して1ヶ月半くらい経った頃には、だいぶ落ち着いていた。






順調に良くなっていたように思えた私だったけど、1度だけ割れたガラスで自分を傷つけたことがあった。


何でそうなったかはっきり覚えてないんだけど


入院してる子の不安定さに私も引きづられた気がした。


先生には、

「良くなりかけの頃によくあること」

だと説明され、その事はあまり自分を責めずにすんだけど、

私はその頃から、退院後の自分を心配していた。




入院中には両親がきて、先生の講演を一緒に聞いた。

あとで知ったことだけど、テレビに出るような有名な方だと。


そんな先生にみてもらえたことはとても有難いことだと感じた。



講演では、いろんなことを話してくださったけど、


1番印象に残ったのが

「父親と関わらずに大きくなった子は社会に出てつまずくことが多い」

ということだった。



その時、ふと、私と父親との関係はどうだっただろうかと考えたら

不思議なくらい、父親の記憶がなかった。




小さい頃からずっと一緒に住んで、高校の時は車で学校まで乗せてくれてた父だったけど、

私のそれまでの記憶には、母と兄が大半を占めていた。


もっと父と関われば良かったと、その時は思ったけど、今更どうしていいのか分からないでいた。


それはきっと父も同じだったと思う。





そしてその頃から、私は退院を考えるようになっていた。

入院して2ヶ月過ぎた頃だったと思う。



ここには、信頼出来る先生や看護師さんがいて、同じような境遇の人が入院していて、

居心地は決して悪くはなかった。



傷を持ってる人たちだからこそ、互いを思いやり温かい空間だったけど



私の人生は、この病院で続いていくわけではなく

またあの地に帰り、自分の力で生活することだった。



うまくいかないかも知れないけど、やってみるしかない。

ここでウダウダ悩んでいても仕方ない。


やってダメならまたここに戻ろう。



私は退院を決意した。









退院を決めた私はとても晴れやかな気持ちで、色んなことが頑張れそうな気がしていた。


心に不安があったけど、そこには蓋をして

とにかく退院を楽しみに過ごした。




退院を決めた想いに曇りがあるとは思いたくなかった。






約3ヶ月ぶりに帰ることになったが、私は実家ではなく

一人暮らしを選んだ。



あの時、実家を選んでいたら何か変わっていただろうか?




とにかく私は、母との距離感が分からず

私を心配する母が鬱陶しくて仕方がなかった。




私が求めていた時期にずっと手を差し伸べてくれなかったのに、

今更なんなの?という苛立ちで素直になれなかった。



母には、本当に申し訳ないことをした。





一人暮らしを再開した私は、入院中待っていてくれた彼氏としばらくは仲良く過ごしたが

私の心は相変わらず不安定で、彼とも別れることになった。





結局元の居場所に戻ると、私は不安定なままだった。






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