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祖母と私と手紙

ふと思い出したので書く。

正直な事を言うと、私は父方の祖母のこと好きでも嫌いでもなかった。
ただ、祖母はいるそれだけだった。

祖母は長いことリウマチで病院にいて、一緒に暮らしていなかったのだ。

そんなこんなの小学2年生。
郵便の仕組みを勉強するため、官製ハガキを持ち寄り家族へ手紙を書くことになった。
(今のご時世だと配慮が足りないとおもられるのかもしれない。)

書くことに困り、祖母へ「元気ですか?」とだけ書いた。
後日到着したハガキは、家族に見られる前に回収して捨てた。

小学4年生だったか、祖母は亡くなった。
通夜で不寝番をして悼んだ。
故人を偲ぶ程も思いではなく、
一緒に住んでいなかった祖母が
「死体になって帰ってきた」
脳内での処理が追いつかなかった。
幼い私も周囲にあわせて悲しいふりをしなければならなかった。

火葬前に手紙を入れることになった。
脳の処理が追いていないのに、便箋と封筒を渡される。
悼む気持ちを言語化する術を持ち合わせておらず
「病院楽しかった?」って書いた。

今の自分なら、闘病生活を労う言葉、ゆっくり過ごして、悲しいけど強く生きるね、わすれないよ、ありがとうと、幾つかの言葉で書けるけど、そんなスキルはなくて、
あの手紙は今でも後悔していて、思い出したんだなと思った。

割と曖昧な顔の祖母ではあるが、美人で吉永ふみの大奥に出てきそうな顔をしていた。
お嬢様のように背筋をピンと伸ばして座っていた。

私は祖母と良好な関係を築けていなかったように思う。
接点がすくないので、あまり愛情を感じていなかった。
滅多に会わない彼女に愛されていぬなんて思っていなかった。

お互い一定の距離で歩み寄れなかった。

好きでも嫌いでもなく、また彼女も体調が悪くて、
私に愛情を注ぎ込む余裕もなかったのだろう。
今なら違った関係性を気付けていたかもしれん。
病状も良くなっていたかもしれん。

すぎた事だ。

今なら素直に手を合わせ、ご冥福を祈るだろう。
手紙にも闘病へに労いとお別れの言葉を書いていただろう。
でも、アウトプットの仕方がわからないから…後悔しっぱなし。

でもこれが、きっと私と祖母との秘密の思い出なのだ。

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