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全然大丈夫じゃなかった話

小学生高学年
地域の陸上大会に参加必須だった。
競技を選ぶため、2回に分けて各競技のテストの時間があった。
5年生のとき、私は1日目を欠席か見学で出ていない。
2回目に高跳びがあった。
身長が高かったこととビギナーズラックが重なり、かなり飛べてしまったため、高跳びが私の競技になった。

苦行の始まりである。

他のメンバーは先生の指導で、安定して飛べるようになってくる中、私は全く飛べなかった。
だんだん歩幅を広げて速度を上げて、フォームを意識してタイミングよく飛ぶ。
そんなんできるか!

「タイミング合わせて飛ぶだけだろ、さっきからなんでこんなこともできないんだ。」と言われる。

できねーよ。走る、飛ぶ(幅跳び)はできる。
でも道具が絡んだ瞬間できないんだよ。

運動会、男女ペアになって行う競技があった。
途中、ボールがあって、自分でボールを地面に叩きつけバウンドさせ、ボールが浮いている間にくるっと1回転して受け取る。二人とも終わったら次のポイントへ行く。
なん度やってもボールをキャッチできず10分以上かかっても成功させられなかった。結果、どちらかが成功すればいいとルールが変わった。
それくらい道具が絡むとポンコツになるのである。
徒競走は学年で5番には入る。走るだけだから。

そんなわけで、どうしたらいいか分からず、日に日に飛べなくなり追い詰められていった。
その頃には毎日お腹を下していたように思う。
生活ノートには日記を書くところがあって、高跳びがうまくできないことしか書いていなかった。真面目が故に、末尾に「頑張ります。」と書いた。

やりたくないしか思っていないのに遠慮して最後には「頑張ります」って書いてしまうのだ。
(冷静になんがえたら、できないこと毎日書いて、提携化した頑張りますってしか書いてないやつやばくないか?)

担任の先生は社会人1年目。優等生が頑張るって書いているのだ、もう頑張れないなんて気づいてもらえないのだ。

それから数日後、40℃近い熱を出した。
今思えばインフルエンザか何かだろうけど、当時はそんなに簡単に調べられないし、特効薬もなかったので長引いた。
体はしんどかったけど、高跳びやらなくていいと思うと、本当に嬉しかった。
5日経っても熱は下がりきらず、37℃後半は続いたので3日に1回は通院。この間、ずっと学校を休んでいた。
熱が下がらないのだから仕方がない。
明日熱が下がって学校に行っても見学すればいいのだ。
結局、元気だけど熱があると言う状態が2週間近く続いた。
そして運良くその間に陸上大会が終わった。解放されたのだ。

2週間以上休んだので、不登校を疑われ診断書を出せと言われた。
病院に通ってたし、紹介で転院までした。
だから原因不明だけど熱があったことだけ証明する謎の診断書が発行された。

そしてこの件は終わった。
「勝訴」って紙を持って走って校門に向かいたかった。

翌年の6年生は、テストの全日程に参加し、走り幅跳びへの参加権を手に入れた。
身長150cm、体重35kg痩せ型の私は
コンスタントに4m近く飛んでいた。
マジ楽なのである。適材適所って素晴らしいよ。

できないことを怒られながらやらされ続けるとこんなにも追い詰められるのかという体験である。
大人になって、自分の行動を振り返り苦しかった記憶を整理して、ようやく消化できそうである。
消化はできても記憶は消えないので、嫌な思い出TOP10には確実に入るな。

大丈夫じゃないときにも大丈夫って言っちゃうんだよ。言動がおかしくても大丈夫って嘘ついちゃうんだよ。自分がおかしいのかもしれないって疑心暗鬼で沼にハマってるからね。

大丈夫は大丈夫じゃないことがある。自分で学んだこと。
大丈夫はたまに疑わないとダメです。

それでは、おやすみなさい😘
明日から本気出す。(かもしれない)

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