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お習字と私 美術と天気。

あらすじ、お習字の受賞歴で推薦もらって美術に進んだよ。

部活では書道部に入るつもりだったが、美術専攻の人は美術部と決まっていたのでそれに従った。この時に書道部を選ぼうとしている時点で、無意識に逃げ場をを用意しておきたかったんだなといまさらながらに思う。

小学生、中学生。狭い世界でちょっと絵が描けるくらいでは、成績は振るわなかった。デッサンはできなくもない。でも何もかもthe中途半端。極める気概がない。技術の面もあるけど、圧倒的に発想力が足りない。
そんな焦りをできるだけ表に出さずに生きていた高校2年生の現代文。
この言葉は、長いこと私を苦しめるのである。

「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」

夏目漱石「こころ」

何か技巧的なものを描きたいのではないし、何か崇高な考えをもって連作しているわけでもない。下絵からコンセプトを説明するのがめんどくさい。下絵から制作に進められるものも少なく、制作を始める時点で、既に自分のものではない何をを作らされている感覚になっていた。
本当は、定まらぬ何かぼんやりと空気を纏った絵を描きたかった。
今思えば、作品作りは技法であったり、構図の取り方であったりを実践で体得できる機会だったんだけど、未熟な私は、そんな風に考えることはできなかった。向上心のない私の愚かさを呪う日々であった。

いつの間にか、アウトプットに理由を求められ(ているように感じて)、行動には言い訳が必要になってしまった。何故を考えることに疲れ果ててしまった。自滅して、そのまま挫折。美術で大成する余地はない。好きだった芸術と距離をおきたくなった。

専門家を目指さなければ、生業ではなく、趣味として十分楽しめていたはずだった。

さて、この記事だいぶ改変した。本当は、拗らせ延長戦大学編につながる予定だった。

下書きのまま放置している間に事態が急変してしまった。
な。。。な。。。なんと、大きめの書道展に初出品で入賞してしまったのだ。通常は入選を狙い、入選の回数を重ね、何回か目で賞をもらうようになり…と、本当は段階を踏むものなのだが私は一足飛びに、評議員になれる賞をいただいてしまった。

履歴書に書ける趣味というか自己紹介でいえる趣味が欲しくて「書道を習っています」習っているなら、多少下手でも趣味って言ってもいいだろう?そんな薄い理由で書道教教室に通いだしたのに、1年足らずで某書会の評議員である。免罪符として最強やん・・・。これさすがに趣味って言っていいやつやん・・・と。
長いこと拗らせて膠着していた芸術との距離感。この1年であっさりと瓦解してしまった。あ、さすがにこれなら好きって言っていいなって。
字を書くのが好きで、書道をやっています。シンプル。

とはいえ美術の基本の習得とも通ずるところがあり、ひたすら書く。
古典臨書を続けて技法を身に着けて、作品を作るときに自分の色を出す。
美術だと専門性が見つけられずに見失ってしまうけど、書道は、北魏の文字を学ぶと定まってきたので限定されていて、ターゲットを絞って反復できるので、気持ちが楽である。

とはいえビギナーズラックで勝ち取った賞は、次回のプレッシャーになることはわかりきっている。免罪符と同時に自分との戦いが約束されているのだ。でも趣味だから仕方ないね。
なんだろう、心境の変化ってこんなにあっさり起きるんですね。

高校生だったころの自分に言いたいこと。
ここで美術を選んだことは、結果的に今の自分の糧になっているので、やはり運がいい。直接物は作らないけど、作っている人たちの近くにいられるのだ。天職かもよ?やっていること、めんどくさいけどw
部活で会計やってたあなた、今、ビジネス実務法務とか簿記の勉強しているとか信じられる?
芸術にどっぷりつかった苦しい生活でくじけて拗らせて、近づけなくなった芸術で報われる日が来たんだよ。人生何が起こるかわからないね。

拗らせ大学、IT就職編は何か機会があれば書きます。ダイジェストで言うと、オタク度、こだわり度の強い方々に圧倒されて、新参者、レベルが足りないとちょっと好きくらいじゃ、恐れ多くて好きと言えなくなったんだよ。ちょっと拗らせすぎ!

なんか、大人になって適度な距離感をキープして、あゆみ寄ってみたら、突然、まぁそのままの調子で生きてたらいいんじゃない?って言われた気がした出来事にまった。
清々しい青空というよりは、優しい慈雨で満たされていく心境である。

賞をいただきありがとうございました。拗らせが過去のものに消化できそう。これからも、気負わず精進いたします。

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