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藤原肇ちゃんの新人担当プロデューサーとして、という話

 デレマスに限った話になりますが、僕は塩見周子ちゃんから担当プロデューサーとしての道のりが始まり、力を入れて綾瀬穂乃香ちゃんをプロデュースするようになり、そして自らの世界を広げるために藤原肇ちゃんを新たにプロデュースすることとなりました。

 先達の皆さんはたくさんいらっしゃいますが、今回は、藤原肇ちゃんのことを初めて書くnoteになることと思います。


 5/2から5/6にかけて行われるStage for Cinderellaのプレイオフですが、僕は全ての票を肇ちゃんに投票しております。
 これまでの予選と違い、次の舞台に進めるのは1人だけ、というのもありますが、肇ちゃんへの感謝のひとつとして、が大きいでしょうか。

 それは、「器」の大切さについてです。

 広辞苑によれば、①物を入れおさめるもの、②事を担当するに足る才能、といった意味があるようです。

 ①の方は、肇ちゃんを担当して、ふるさとの伊部で備前焼の器を購入してから、水などを飲むときには決まって使い、何より壊さないように、大切にしています。値段とか価値ではなく、使う度に、大切にしたい思い出や気持ちが蘇ってくるからでしょうか。

 ②の方は、難しい話になりますが、肇ちゃんの初めてのレッスン(メモリアルコミュ2)から、解決の糸口がありそうな気がします。

 頭では覚えたけど、出来るかどうか不安な肇ちゃん。うまく踊るにはどうしたらという彼女に、プロデューサーさんはやってみて、と答えます。完成形を想像しながら成形せよ、という祖父の教えを守ってきた肇ちゃんにとっては「器」に背いていると感じたのかもしれません。

 そこを、プロデューサーさんは「仕方ない」と言います。それで済ませて良いのか、という肇ちゃんの台詞は確かに、と感じました。だとしても、まだ始まったばかりだから、楽しんで、と、プロデューサーさんは、肇ちゃんの「事を担当するに足る才能」を信じているかのようでした。

 「事を担当するに足る才能」は、この時点ではまだ分からない、ということなのでしょう。才能があるかないかは、やってみないと分からないし、一度才能がないと判定されても、二度目、三度目がある。しかも、失敗した経験を活かせる。

 器は、使い続けて理解できるものだし、失敗した時にもう一度使うことで、磨かれるものなのかもしれません。

 ということで、まだまだ藤原肇ちゃんのプロデュースは始まったばかりですが、新しいセカイが広がる様に、器を磨いていきたいと思います!


ここまで読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。みなさんが楽しめるものを、気軽に楽しめますように。

 

 

 


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