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夏の前日、独り言

伝説のバンド「たま」の「夏の前日」という歌がずっと好き。なぜなら夏が苦手なので。サビの歌詞はこうです。


今日は夏の前日
ひどい夏の予感がする
怖くて眠れない
赤い夜が続いてる


茹でたての朝もぎとうきび(とうもろこしのことを北海道ではこう呼ぶ)と桃が食べられること以外は夏を憎んでいると言っても良い私ですが、でも夏の風景には他を以って変え難いノスタルジーというものも感じている。
親が見ていた土曜の夜のナイターの音とか。
熱く乾いた土に唐突に現れる蟻の巣とか。
朝の緑の匂いとか。

もうひとつ夏の歌で思い出すのは爆風スランプの「1986年の背泳」だ。


どれほど泳いだろう/流れる汗は
すべて波間に/ひかれていくんだね

どれほど見たんだろう/流れる雲と
熱く落ちてく太陽


音楽はアンビエント調と言いますか、静かで淡々としててとても良い。この頃の爆風スランプの歌、ナンセンスとナイーブな抒情性があっておすすめです。


さて


7月もあと数日を残すのみというところで、大きな仕事や勤務先の前期授業もあらかた終わり、少し呼吸が楽になったように感じる。

忙しいのって何だか水の底を歩いてるみたいで、世界がぼんやり歪んできて、いろんなことをうまく考えられなくなる。
体は水中を歩いているのに意識の上澄みだけでしか物事を考えられなくなって、世の中に「現実」しかなくなってしまって、そんなの本当の自分の生活じゃないと思ったりもする。
意識の地下に潜る時間がないと自分が自分でなくなっていくようで心細い。

でもこうして働いて社会と関わっていかないと自分の世界はどんどん閉じて黴(カビ)だけが生えていくのだろうから、忙しい中でしか考えられないことを考えることも必要なんだろう。
黴は黴でもおいしい黴を育てられる人なら、そういう生き方ができるんだろうけど。

お仕事をいただける時には全力で働きたいし、そこから得られる自由もある(たぶん不自由より少しだけ多く得られる)と思う。

今よりずっと仕事に暇があった時は、気が向いた時にふらふら図書館に行ったり美術館に行ったりコーヒーを飲みに行ったりしながら毎日を送っていて、あれはあれで豊かだったなあ。
ありがたいことに今の生活も豊かだけれど、あの頃の豊かさも覚えておきたいし、できればうまいこと混ぜ込んでいきたいと思うのは贅沢であろうか。

フィンランド人の友人はこの季節、湖畔の山荘に滞在して、ハンモックの上で白夜の日差しを浴びながら読書をしたり、薪割りをしたり、カヌーで湖に漕ぎ出したりしながら博士論文の準備をしているとのこと(一番近い商店まで数10kmという立地ながらネットも通じる)。
才能も環境も趣味もまるで違う相手と自分を比べても仕方ないのだが、あれこれ工夫して人生を楽しんでいることだけはもうちょっと見習っても良いのかもしれない。

いや、私だってきっとそれなりに毎日に楽しみは見出している。
でもなんとなく、周りのもっともっと大変そうな大人たちを見ていると、日々を楽しむことに何となく引け目を感じてしまうんだよな。
そんな必要なんて、きっとどこにもないのにな。

厄介なことや面倒なことやしんどいことなんて黙っていても矢のように四方から飛んできて体のあちこちに刺さってくるんだから、せめて日々を楽しむことで魂を防御しないとダメなんだ。必要なんだ、楽しむことが。そう思おう。

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