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読書についての二、三の事柄

一年以上前に手に入れて、少しずつ読み進めていた短篇集を、この度やっと読了した。

小学校高学年くらいからずっと活字中毒だった私も、スマホやSNSが隙間時間を手軽に埋めてくれるようになってからというもの、明らかに読書量は減ってしまった。
良くないなあ、とは思いつつ、ローコスト&ローリターンのジャンキーな文字情報がもたらすドーパミンに今日もまた依存しているわけですが…

そんな中でも、この作家の新刊が出たら必ず読みたいという作家が今は二人いて、その一人が今回短編集を読み終えたフリオ・リャマサーレスだ。

リャマサーレスとの出会いは、ズバリ、「ジャケ買い」だった。

その昔、紀伊國屋書店の外国文学棚をザッピングしていた時に、『黄色い雨』を偶然見つけた。
カラフルだけれど素朴さもある風景画の上に重なる半透明の黄色い帯、という装丁に、まず心惹かれた。そして、開いて、数行を読んだところでたちまち魂をグッとつかまれたのを覚えている。

魔術的な文体、と言えるかもしれない。
スペイン語に明るくないので元の文章がどのようなのかは知るすべもないが、預言のような詩のような印象の文章。
山奥の朽ちゆく村でひとりぼっちで老いてゆくことを選んだ偏屈な男が、ひとりぼっちで朽ちてゆく話なのに、あまりにもあまりにも美しい。
モンポウやラヴェルの音楽のような気配もあるかもしれない。

それほど長い小説ではないし、ある意味主人公の日記のような内容ということもあり、何度も何度も繰り返し読めてしまう。
まるで気に入った交響曲を何度も何度も聴いてしまうように、この本の世界に入ることを身体が求めてしまう。
一時期この『黄色い雨』は、私にとってそんな小説だった。

その後おそらくこの作品の評価を受けて、著者の代表作が続けて翻訳されたので、その度に喜んで本屋に走り読んでいる。
とはいえ、元々寡作な作家らしく、現在日本語で読めるのもこちらの4冊だけだ。

『狼たちの月』は、スペイン内戦時にゲリラ兵の生き残りが逃げ落ちる話。『黄色い雨』以上にハードで重くつらいばかりの話だけれど、それでも『黄色い雨』同様、感傷を排除したリリシズムが紡ぐ世界に魅了されてしまう。

『無声映画のシーン』は、前出の2作よりもずっと、日常的・現実的な事柄を描いた短篇集だ。
ある意味ここで初めて私たちは、作者のリアルな視界というものに触れられるのかもしれない。

そしてこのほど読み終えた短篇集には、人生の「どうにもならなさ」を、作者独特のアイロニーとユーモアと諦観と冷静さで描き出した作品たちが収められている。
帯にある通り、作者の集大成とも言えるのかもしれない。
だけどある時、特に前半に収められている作品の主人公たちの「人生のどうにもならなさ」が、仕事の息抜きで読むにはあまりに重くなってしまい手が止まってしまった、というのが正直なところで、読み終えるのにかなりの時間を要してしまった。

世の中には自分がしんどい時に登場人物がしんどい思いをしているフィクションを楽しめる人もいるのだろうけど、私はそうではなかったみたいだ。それぞれのしんどさの質にもよるのかもしれないけど。

それでも、この短篇集を読み終えた今、私はもっとリャマサーレスが好きになった気がする。
彼は初め詩人として文壇にデビューしたそうなので、いつか詩も読んでみたいものだ、と思っている。訳者の木村榮一先生や出版社に要望出してみようかしら。なんて。

ここからはまた余談だけれど、この訳者の先生については、ある時ちょっとした意外な繋がり(というほどでもないけれど)があることが判明し、驚いたことがある。

数年前まで、年に一度、先輩ピアノ講師のRさんという方と自宅教室の発表会を共催させていただいていた。
彼女は、同じ楽器店に務めていた頃から穏やかな品があって、何となく内側から知性が滲み出ているような素敵な人だなあと感じていた。
だからその後、出産を機に楽器店を退職していた彼女から、一緒に発表会をやらないかと声をかけていただいた時も、とても嬉しかった(結婚後、Rさんはたまたま私の家の近くに住んでいた)。

そんなこんなで色々と個人的な話をする機会も増え、彼女が小さい頃お父様の仕事の関係でロシアに住んでいたこと、それもあり北欧音楽に親しみを感じていることなどを知った。
私は北欧音楽にちょっと縁があり、その周縁で活動をしていたりもするので、またまた嬉しかった。

ある時、彼女のお父様が、私の父の母校で教授を務めていたことを知った。
それを聞いた時、私の父がかつて大学のロシア語教授にとんでもなくお世話になった……具体的にはだらしない学生だった父が、その先生のおかげで何とか単位を工面してもらい卒業できた、というダメ武勇伝を語っていたことを思い出した。

まさかとは思いつつ、Rさんに旧姓を確認し、父に話してみると、まさかのまさか、そのRさんのお父様こそが私の父の恩人だったのだ。おまけに、今でも年始のご挨拶だけは送っているというではあーりませんか!おどろきもものきさんしょのき!思わず昭和に戻ってしまうほどの衝撃!

更に驚いたことに、彼女の妹さんもやはり語学の方に興味があり、大学ではスペイン語を専攻し、今は関西の大学にお勤めと聞いたので、私が何気なく「実は最近スペインの作家でハマっている人がいて」と『黄色い雨』の書影を検索してお見せしたところ、

「あっこの翻訳の木村榮一先生、妹の恩師なの」

「マジすか!!!!?!!」

……………まあ、大興奮でしたよね。
だから何ができるというわけでもないんですけど、とりあえず「機会がありましたら妹さんから木村先生にくれぐれも感謝をお伝えいただければ幸いです」などとお願いしたような気がする(笑)。
いやあ、世の中の縁って本当に不思議。

閑話休題、このリャマサーレスがきっかけで、その後スペインやラテンアメリカの文学などもあれこれ読むことになり、2010年にマリオ・バルガス・リョサがガルシア=マルケスに続きノーベル文学賞を獲った時は、おお!と思いました。

ていうか、もののあはれとマジカルなものが入り混じったスペイン語文学は、わりと日本人と親和性が高いような気もする……というのは今更私ごときが言うまでもないかもしれないが。

これで積ん読一冊クリアできたので、次は何を読もうか考え中です(と言いつつ最近はKERの動画ばかり見ている)。

ではまたー。



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