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道化師の歌、夜想、小さな実り

先の土曜日、自分としては結構ボリュームのあるプログラムを組んだ本番が終わった。ソロで20分近く弾いた。

プログラムの中でも最後に置いたラヴェルの「道化師の朝の歌」は一般的にもわりと…高難易度と言われている作品だが、10年以上前にレッスンを受け勉強会的な場で一度弾いたその後も、機会があればまた勉強したいなと思い続けていた。

半年前くらい前に曲を決めて以来コツコツ準備をしていたものの、新年度に入ってからは仕事が目の回るような忙しさになり、気がついたら仕上げが間に合うかどうかという時期になってしまって結構焦った。

果てのない理想を追い求めて行く中で、曲がりなりにも他人様に聴いていただくのだから、ある時点で"今の自分にできる最上"の方向へと舵を切る必要があった。でもできればギリギリまで理想を目指してもがきたい。その葛藤が今回は特に苦しかった。
結局、本当に「よし、今回はこの方向で行こう」と覚悟を決められたのは本番前のリハーサルの時だった。怖い怖い怖すぎる!

でもこんなに悩めたのは、この音楽が自分の命の根に繋がっていると感じられる、自分の生にとって重要な存在だったからだと思う。
そしてそのような音楽と共に歩む時間だけが、この心貧しい自分に生きる意味を与えてくれるのだ。だから、怖くても苦しくても惨めでも、私はそれをするのだろう。
今回も本番は怖かったけど、わりと音楽に集中はできたと思う。もちろん後になってこうするべきだったはたくさん出てくるけど、今の自分にできることは残さず搾り出した気がする。

有り難いことに、終演後ロビーで会ったお客様からはいつになく好意的な感想を多くいただいた。「道化師の朝の歌」が好きだけどなかなか生で聴くことがなくて、というお客様からはリズムがとても良かったと言っていただいた。苦労した8分の6拍子のアクセントがうまく働いたことがわかって嬉しかった。

今回初めて勉強した、またほとんどの人がたぶん初めて耳にしたであろうパルムグレンの「3つの夜想的情景」にも好評の声をいただいてホッとした。
本当に僭越なことだけれど、フィンランドのピアノ作品をまだ知らぬ方々へ届けることは、ささやかな自分の演奏生活の中でも最も大事にしたい仕事だから。

ここ数年のような練習の仕方、計画の立て方、体の作り方や使い方をもっと若い頃から実践できていたら、きっと今頃できることやレパートリーがもっともっと豊かであっただろうと思う。
でもそれができなかったのが自分の才能や意識の限界だったんだろう。二十数年、ピアノ教師として学ぶ中で今やっとここまで来れたのだ。
まだまだだ。希望はある。苦しくても明るい心で続けてさえいれば、きっともっと世界は豊かになる。そう思えたことが、今回わたしが手にした小さな実りかもしれない。

毎日の生活の中での美しいこと、悲しいこと、恐ろしいこと、悔しいことをしっかり見つめながら、これからも勉強して演奏して、生きていきたいな。

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