【体験談】子どもの発達障害のつらさ

最近本を探していると、大人の発達障害のつらさというものを良く見かけます。しかし、子どもの発達障害についての当事者の本は少ないのかなと思います。より詳細に言うと、子ども時代に発達障害と診断されてどのように生活したのかの体験談をあまり見かけません。
私は小学校低学年でASDと診断され、高学年の頃には障害者であるというアイデンティティを持ちながら育ってきました。今回は自身の辛かった体験談について吐露させてください。ネガティブ多めで重たい話なので、ご覧する際はご注意ください。

つらかった中学時代

私は最終的に3年生の最初あたりで不登校になってしまうのですが、理由は複雑です。ですが発達障害があるということは密接に関係しています。
私の通っていた中学校の先生方には問題がなく、むしろ忙しいのにも関わらずとても親身な対応をしてくださいました。一番の問題は同級生にあったと考えています。

私は同級生の’意図しない’差別に苦しみました。ただし、彼らから直接罵詈雑言を浴びせられたわけではありません。では被害妄想なのかというとそうでもなく、実際は間接的な差別だったのだと思います。
我々の世代はインターネットが身近にありました。そしてそこには障害者への蔑称がいくつもあります。このような蔑称はYoutubeなどのSNSでは一般的で目にする機会はいくらでもあります。
私が中学校に上がる頃には、そういった蔑称は同年代の間でも一般的に用いられるようになっていました。彼らは何かおかしな行動をとっている仲間を見ると、すぐにその蔑称を使ってバカにするのです。彼らが障害者を見下しているかどうかは分かりませんし、私が彼らのターゲットになっているわけでもありません。
ですが、私はどうしても彼らに見下されているようでたまりませんでした。なぜバカにする言葉として、我々の存在が用いられなければならないのか。我々は貶されるような存在なのか。疑問と怒りで一杯になりました。
障害者であるというアイデンティティを強く意識して生きてきた私にとって、自分という存在を著しく否定されているように感じたからです。

学校という場で行われている以上、嫌なら見なければ・聞かなければ良いの考え方に則るなら、不登校になるほかありませんでした。だから私はこの嫌なら云々という考え方が嫌いですが、実際身を守るのはこの方法であることも理解しました。

今振り返ってみて

中学時代の体験は本当に壮絶で、その年齢ならあって良いはずの万能感が大きく歪められました。当時私は成績上位者だったので、もし障害者でなければ、”できる自分”に対してもっと自信を持てたのではないかと今でも思っています。今でも私は、何か頑張ってミッションを達成しても素直に喜べず、どうせ私は障害者だからと自己否定に陥ることが多いです。もしかしたらいつのまにか、自分自身が一番差別主義者になっていたのかもしれません。

あれこれ考えても結果論に過ぎないことはわかっているつもりです。
このような道を歩んできて良いことなんてなかったとも絶対に言いません。それでもやっぱり、なぜ障害者であることでこれほどまでに苦しまなければならないのか、なぜ自分が障害者でなければならなかったのかと、考えてしまいます。

この苦しみを共有できる友達がいたらいいなとずっと思っています。
現実にはこんな重い話をできるとは思えないので、代わりに記事として書き出させていただきました。少しスッキリした感覚があります。
ここまで見ていただきありがとうございます。

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