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堂々と幸せで居ること

井上真央と佐藤健、松山ケンイチが共演しているドラマ「100万回 言えばよかった」。

その第7話で、井上さんが演じるヒロインが、
・友人が自分の知らないところで、重大なトラブルに巻き込まれていたこと
・そして、どうやら(佐藤健さんが演じる)恋人の死は、そのトラブルに巻き込まれたことが原因と推測されること
が分かってきた際、自分だけがトラブルにまきこまれず、無事でいることに後ろめたさを感じている、と呟いてしまいます。

「堂々と幸せでいろよ」という言葉は、彼女のつぶやきを聞いた際、恋人が発した言葉です。

ネット上ではこの言葉に対して、「素敵すぎる」「すべての人に刺さりそう」「幸せでいることに後ろめたさ感じなくてもいい」などの感動の声が集まっているようです。

確かに言われてみれば「幸せで居る」ことを、しかも「堂々と」なんて、自分に出来ているのかなぁ、と心配になります。

例えば「楽しそうだね」とか、「なんか、幸せそうだね」と他人から見られることはあります。そこは意識して行動していますし。

いつも、出来るだけ「機嫌良いおじさん」に見てもらいたいし、楽しそうにしているほうが、良いことが巡ってきそうな気がしますから。

ですが、自分が「幸せだ」と感じて、そういった振る舞いをしているか?と問われると、自信はありません。

どちらかというと、自分が楽しく感じているかどうか?(感情)に目を向けるのではなく、楽しそうにする(行動)ことに意識がいっている感じです。

これは、脳科学の書籍から得た知恵で、先に笑顔になってしまえば、自分の脳が「あっ、いま自分は楽しいんだ」とだまされるのだとか。

まずは、自分の幸せは自分で決めて良い、というか、自分で決めるべき、ってところからスタートなのかな。

他人と比べることで優越感を得るとか、自分だけが幸せになってはいけない、と後ろ向きに考えてしまってはもったいない。

まず自分が幸せだと感じることを良し(許可)とする。それを幸せを感じている瞬間を自覚し、その要因は何なのかを考える。

きっと、その要因が見えたとき、それは自分のLife Workと呼べる生きる軸になるのかもしれません。

「自分だけは幸せになりたい」とか、「自分だけが幸せになってはダメ」といった、他人をベンチマークした考え方ではなく、「自分の幸せは自分で決めて良い」からスタートする

そうすれば、自然に胸を張って堂々と、幸せに生きていける。そんな気がします。

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