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人が集まること

マスク着用が解禁され、各地の桜の名所でお花見が開催されるなど、いろんなことがコロナ以前に戻ってきています。
WBC日本代表を応援する、東京ドームに響く大歓声を画面越しに耳にしたときは、しみじみ「やっぱり良いなぁ」と感じました。

こうして、またたくさんの人が集まれて、その場にいる全員が「声を合わせる」ことができるようになったことは良いことですが、一方で、何もかもがコロナ禍以前に戻ればよい、という訳では無いと思います。コロナ禍で経験し学んだことは、やっぱり活かさないといけませんよね。

僕は、人が集まれるようになっても、「以前のように戻って欲しい」と感じることと、「戻って欲しくないこと」があると思っています。

前者の代表格は、ライブやイベントなどの集客空間ですね。
先ほどの東京ドームでのWBC日本代表の試合のように、同じ思いを持った人がそこに集まり、みんなが声を合わせてチームや選手を応援し、喜びを分かちあう。ほかにも、スタジアム級の大会場で行われる音楽イベントで、ステージ上のアーティストの演奏に、そこにいる皆が声を合わせて合唱する。

ひとつの場所で、それぞれが思い思いのやり方で、その場を楽しむ空間。そんな場所では、どんなに沢山の人が集まり、ぎゅう詰めになっていたとしても、むしろそれが楽しい。

一方で、同じ人が集まる空間でも、通勤電車の車内のような、「意志とは関係なく人が集まってしまう」空間は苦痛でしかありません。

だんだんと、出社を奨励し、せっかく定着した在宅勤務や時差通勤も上限を決めるなど、制限を加える企業が出てきており、朝の通勤ラッシュが徐々に戻っているように感じますが、出来ればこれはコロナ禍以前に戻って欲しくはないなぁ、と感じています。

結局、「集まった」のか、「集められた」のか、なんだなぁ。

コロナ禍を経て、それまでの自分が「人が集まっている状態」に慣れてしまっていたことに気づきました。都心のオフィスに勤務していると、コロナ禍以前であれば、一日の相当の時間を、人と人の距離が近い状態にいることが当たり前で、あまり人が集まることの良さ、について意識することはありませんでした。(どちらかと言うと嫌いでした・・・笑)

でもいまは、「集まること」で、実はその場にいることで生まれる一体感に安心したり、何気ない会話のようなやりとりに、心地よさを感じていたのだと気づいています。人が集まる場所って大切だし、人は直接会うということを大切にしなきゃ、と改めて思います。

コロナ禍の3年間。
この間に社会に出た若者は、最低限の集まり、つまり、「集められた経験」の方が多いのではないかと思います。

職場に顔を出して、上司や同僚の顔を見ることで感じる一体感や、他者と一緒に集まって働くことの煩わしさ、のどちらの経験も少ないはずです。

これから彼らには、集まって働くことの良さを、めいっぱい味わってもらいたい。時には、自分の割り当てを越えて、他人の仕事を一緒に手伝うことも経験してみてほしいです。

僕のようなシニア世代は、学生時代や入社直後の若葉マークの時期を、コロナ禍に直面し、もがいた経験を持つ若い世代を、コロナ禍前に戻ったのだから、と言って「集めようとする」のではなく、ちゃんと「集まる楽しさ」を経験者として伝えることを意識して行動をしないといけないな、と改めて思います。

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