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The Birthday「LOVE ROCKETS」歌詞考察

The Birthdayさんの「LOVE ROCKETS」の歌詞の意味について、映画『THE FIRST SLAM DUNK』および漫画『SLAM DUNK』の内容から考察します。


はじめに

「LOVE ROCKETS」は、The Birthdayのチバユウスケさんが、原作の『SLAM DUNK』を全巻お読みになって作詞されたそうです。全巻読んだご感想を「いいなあと思った。幸せそうで。素晴らしいと思った」と語っていらっしゃいました(ポッドキャスト『NUmile』より)。

当記事では「LOVE ROCKETS」の歌詞の内容を、すべて映画および原作の『SLAM DUNK』に沿ったものと考えて、考察を試みています。

⚠歌詞は聴いた人の数だけ色々な解釈があると思いますので、あくまで一個人による一感想文にすぎないものとして読んでいただけますと幸いです。

1番の歌詞

ツバメ とんがって 愛を撒き散らす ロケットになって

https://youtu.be/EEWVJ4RZ4Xg

「ツバメ」とは、体長約17cmの小さな鳥。益鳥(人にいい影響を与える鳥)、瑞鳥(めでたい鳥)とも言われています。

世界で1番速い生き物は、水平飛行ではハリオアマツバメだそうです(ただしアマツバメは、分類上ツバメではなくヨタカの仲間らしいのですが、一応ツバメとついた名前ではあります)。

小さくて速く飛び、渡り鳥ということからも、沖縄から神奈川へ引っ越したという、宮城リョータに重なるイメージが感じられる気がします。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』より

また、「燕雀(えんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」という言葉があります。
ツバメやスズメのような小さい鳥には、鴻(オオトリ)や鵠(クグイ=白鳥)のような大きい鳥の志はわからない、すなわち小人物には大人物の遠大な心はわからない、という意味です。

よって、「燕雀」には小さい人物という意味があることから、「ツバメ」は弱小の湘北チームの比喩と考えられます。対になるものは「白鳥」であり、こちらは山王チームのイメージが感じられます。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』PV -THE FIRST- より

ツバメ=黒・赤(・白)色、小さくて速い、湘北の比喩。
白鳥=白色、大きい(空を飛ぶ鳥では最大級の重量)、寒い地方(秋田にも多く飛来する)、山王の比喩。

まとめると、冒頭の「ツバメ」の一言から、小さいツバメ(湘北)が、はるかに大きな白鳥(山王)に挑んでいるというイメージが想像されます。

「ツバメ とんがって」は、ツバメが翼の空気抵抗を減らし、速度を上げる体勢をとっている様子。そして「ロケットになって」と、ツバメがロケットのような勢いで飛んでいく光景が描かれています。


次の「愛を撒き散らす ロケット」とは、普通のロケットなら、燃料を燃やして排気を放出する(撒き散らす)ものと言えるので、「愛を撒き散らす」というのは、「愛」を燃料(原動力)にして、愛を放出しながら飛んでいるロケットということだと考えられます。

「愛」は、花道の晴子さんへの愛や、リョータの彩子さんへの愛など、色々な可能性がありますが、「大統領に喰らわせる」「この銀河ごと 愛を撒き散らす」といった表現から「愛」を対戦相手にぶつけ、会場全体に広げていくという様子が読み取れます。
なので、ここでは「愛」=「バスケットボールへの愛」と解釈したいと思います。

『SLAM DUNK』#269 天才薄明 より

「バスケットへの愛」とは、晴子さんの「バスケットはお好きですか?」に対し花道が答えた「大好きです」に詰まっている、『SLAM DUNK』を通して描かれたこの作品の大事なテーマです。そして、花道・流川・ゴリ・リョータ・三井、湘北チームの全員が強く抱いている、彼らの原動力になっているものです。

つまりこの詞では、湘北チームが純粋にバスケを愛し、その気持ちを原動力として懸命なプレーをする様子を「愛を撒き散らす」と表現されていて、
対戦相手に向かってコートを駆けていく選手たちの勢いを「ロケット」とたとえている、という解釈ができます。

ここで、作詞をされたチバユウスケさんが「愛」について語っているインタビューを引用させていただきます。

ーもし“チバさんにとって愛とはなんですか?”って聞かれたらどう答えますか?

うーん……わからん。本当にわからない。愛だけで何もかもが作られていればいいなとは思うけど。それは無理なんだよ。無理なのは知ってるんだけど、それでも愛で行こうよ、と俺は思うけどね。

こちらの記事では、チバさんが「愛だけで何もかもが作られていればいいな」「愛で行こうよ」と、愛を重視されているご様子が伝わります。

勝手な想像になりますが、『SLAM DUNK』をご覧になって、バスケへの愛を作品の本質とお考えになり、愛をテーマとして作詞してくださったのではと拝察いたしました。ストレートで本当に素晴らしいテーマだと思います。

ステイション 波止場 どこぞの大統領に喰らわせるんだ

ここまでの1〜2行目の詞から、修飾的な部分を取ると、「ツバメ(が)ロケットになって 大統領に喰らわせるんだ」が主文になります。まずはこの部分から考えていきます。

「ロケット」(=湘北の攻撃)を喰らわせる相手が「大統領」という内容なので、「大統領」は原作の表現でいうと「日本高校界の頂点に君臨する山王工業」の比喩だと考えられます(『SLAM DUNK』#215より)。

『THE FIRST SLAM DUNK』PV -THE LAST- #11 より

しかし、山王チームは作中で「王者山王」や「山王王朝」などと呼ばれています。この詞では、なぜ「王」ではなく「大統領」とたとえられているのかという疑問がわきます。

=君主。
大統領=共和制国家における元首。
簡単にいうと、王は君主制(一人の君主が統治する)、大統領は共和制(主権は人民にある)という違いがあるといえます。

インターハイの優勝校は、当然世襲制などではなく、公平に開催されたトーナメントを勝ち抜いたチー厶がなれるもの。昨年1位の山王チームを倒したからといって、1位になれるわけではありません。

「どこぞの大統領」という表現からは、相手がどこの何者なのかは関係なく、大統領という立場の人間が目標である、という様子が読み取れます。

なので、「大統領」という言葉には、山王も含まれるけれど、目標は山王だけに限らず、頂点に立つ立場の者なら誰であっても倒すべき相手であること、
「全国制覇のためには どこが相手だろうと叩き潰すのみ!!」という、全国制覇を目指すゴリの意志が、しっかり表現されているように感じます。

『SLAM DUNK』#199 緒戦前夜 より

また、「大統領に喰らわせる」という行為には、大統領を頂点とする「世の中の仕組みや秩序」を壊したい、湘北がCランクで山王がAAというランク付けや、山王の勝利しか期待されていない状況をひっくり返したい、というイメージも表されていると思います。

映画のパンフレットには、井上監督がThe Birthdayさんに「湘北メンバーの少しアウトローな感じを出してほしい」と仰ったと書かれています。
「どこぞの大統領に喰らわせるんだ」のフレーズからは、一発でアウトロー(=法律を無視する人、無法者、無頼漢)のイメージが非常によく伝わります。

それでいて、よく聴くと、喰らわせるものはロケットが撒き散らす愛であることが読み取れます。
つまり、「愛を撒き散らすロケットになって どこぞの大統領に喰らわせるんだ」は、バスケが大好きな気持ちを込めて、ロケットのような勢いで山王に立ち向かっていき、番狂わせをしたい、といった意味にとれます。

ここでは、一見アウトローのような雰囲気だけれど、バスケを愛する選手たちである、という湘北メンバーの本質が、非常によく表現されています。一つ一つの単語、その積み重ねで、痺れるほどカッコいい雰囲気を出しながら、バスケへの愛を描いている、素晴らしい詞だと感じます。

『THE FIRST SLAM DUNK』PV -THE FIRST- より

私見ですが、バスケやダンクといった直接的すぎる言葉を使わずに、うまく『SLAM DUNK』という作品に合った歌詞を書くのは、作詞家の方の技量がなくてはできないことだと思います。
この曲では、ロケットや大統領と、バスケの国アメリカをイメージさせる言葉が選ばれており、雰囲気のある詞の世界観が構築されています。

まとめると、この詞の表現は、
①作中で行われている「湘北対山王」の対戦
②湘北と山王を「ツバメ対白鳥」とする比喩
③湘北の攻撃(プレーの様子)と、攻撃対象を「ロケット対大統領」とする比喩
という3重の構造になっています。

「ロケット」「大統領」は、近代的なアメリカのイメージのある言葉同士で、とても合っています。「王」にはあまり近代的なイメージがなく、ロケットとの親和性が下がってしまいます。なので、歌詞の意味的にも、言葉のイメージ的にも、やはり大統領がふさわしいと感じます。

チバユウスケさんのセンスのすごさが読めば読むほどにわかります。『SLAM DUNK』にぴったり合う、厳選された言葉選びから、非常に堅牢な詩作という印象を受けます。


次に「ステイション 波止場」について。
先述の通り、ここは「ツバメ(が)ロケットになって大統領に喰らわせる」という内容ですが、「ロケットになって『ステイション 波止場』 大統領に喰らわせるんだ」と、「ステイション 波止場」が文の中に挟まったような形になっています。

これは、ロケットになって今まさに飛び出そうとする瞬間に、「ステイションや波止場」の光景を、瞬間的にパッと思い出している。それにより、突撃するための勇気を出す、自分を奮い立たせている、という様子が表現されているのではないかと思います。

まず「波止場」は、リョータが沖縄に里帰りし、兄・ソータが事故に遭ってしまった海を眺め、心の整理をつけていたと思われる場面の景色だと考えられます。山王戦を前に、リョータがこのときの記憶や決意を思い返している様子が想像されます。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV 30秒 より

「ステイション」は、『SLAM DUNK』に出てくる駅の風景といえば、湘北チームが陵南高校との練習試合後に、みんなで駅から帰るシーンがあります。
今年の湘北チームにとっての初試合の帰り道、その初心を思い返させる風景を、「ステイション」と表現しているのではないかと思います。

『SLAM DUNK』#48 NOTHING TO LOSE より

ゴリや流川が、山王戦に向かう前の一瞬、初試合の記憶を振り返っている、といった様子が想像されます。

ゴリであれば、練習試合後はライバルである魚住と握手を交わしていました。魚住は、原作では不調のゴリを勇気づける重要な役割を果たしますし、映画でも山王戦の会場に観に来ています。

流川とすると、『SLAM DUNK』#112で「負け試合なんてまっぴらだ」と語っていたように、惜敗した日の記憶を思い出し、相手が山王であろうと二度と負けたくないと気合いを入れている、といった想像ができるように思います。

私見ですが、花道は特に「今だけを見てる」というキャラクターなので(『PLUS/SLAM DUNK ILLUSTRATIONS 2』)、彼にとって遠い過去であろう練習試合の記憶を思い返すという印象はあまりないように感じます。

ワルツ乗っかって ラタトゥーユぶち撒けたみたいに

ワルツ=3拍子の優雅な踊り。男女がペアになり、円を描いて踊る。

ここでは、ワルツの「ペアになって優雅に移動しながら踊る」様子を、
バスケの「マンツーマンのディフェンスで2人1組になり、華麗な身のこなしでコート上を動き回る」という様子に重ねて表現されているのではないか?と考えています。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV 30秒 より

試合中は画像のように、選手たちがペアになっていて、特に左端の三井と松本の体勢は、ワルツとたとえられるのではという印象があります。

なので「ワルツ乗っかって」は、マンツーマンで、いいリズムに乗って、華麗に、といった意味合いで、湘北のプレーが順調に進んでいる表現のイメージです。


次に「ラタトゥーユぶち撒けたみたいに」については、とても参考になるnote記事を拝読しましたので、引用させていただきます。

ラタトゥーユって何色ですか?って話しよ。山王戦の湘北のユニフォーム何色ですか?って話しよ。最後会場の心はどっちの色に染まってましたか?って話しよ。しかしなぜラタトゥーユ?めっちゃ具材が雑多に入ってるし、お世辞にもお綺麗な赤だけとは言えない…。
様々な具材が混ざり合って、おいおい湘北おもしれぇじゃねぇの!もっとやれぇ!!もっと魅せてくれ!!って感じだったろい?そういうことだよ

僭越ながら、赤くて具材が雑多なラタトゥーユが、赤いユニフォームで個性豊かな湘北メンバーの比喩というご考察が、大変参考になりました。
(こちらの記事は、引用させていただいた部分だけでなく、音楽的な解釈も面白い内容でした。素敵な記事を読ませていただき、ありがとうございます。)

引用させていただいた内容をもとに考えますと、「ラタトゥーユぶち撒けたみたいに」は、湘北のバラバラの個性を一つにまとめて(攻撃を)ぶちかます、といったイメージと考えられます。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』CM15秒 より

お前 急降下 この銀河ごと 愛を撒き散らす

ここも、修飾的な部分を取って考えると、「ワルツ乗っかって(ラタトゥーユぶち撒けたみたいに)愛を撒き散らす」という内容が主文です。

「ラタトゥーユぶち撒けたみたいに」「愛を撒き散らす」にかかっていると読みとれます。なので、「愛」はロケットから煙のように噴射される様子を想像していたのですが、液状で、ペンキのようにビチャッと撒き散らされていくものと思われます。

次に「お前 急降下」は、「ワルツ乗っかって 愛を撒き散らす」という湘北チームのプレーの描写の中に、一瞬挿入された「お前」=山王チームの様子ととれます。

「急降下」が可能な上空にいるわけなので、ここは山王=白鳥のイメージです。湘北=ツバメの、ロケットのような高速の攻撃を受けた白鳥が、緊急事態(ピンチ)になり急降下をする、といった様子に感じられます。

そして、「この銀河」とは、ロケットが飛んでいる銀河であり、選手たち(=ロケット)が駆けている「試合会場の体育館」が、「銀河」とたとえられています。とても素敵な表現です。

『SLAM DUNK』#265 指図 より

よって、「この銀河ごと 愛を撒き散らす」は、湘北が山王に向かって愛を撒き散らす(=バスケを愛する気持ちを胸に、諦めないひたむきなプレーをする)と同時に、会場全体にも愛を撒き散らしている様子。
すなわち、湘北チームに会場が感化され、湘北を応援する声が高まっていく様子ととれます。

PAST TIME
NO WAY
FUTURE

PAST TIME=過去。
NO WAY=絶対だめだ、とんでもない、いやだ(直訳すると、道がない)。
FUTURE=未来。

ここは、改行されていて、曲を聴くと間隔も空いているので、繋がった文章でなく3つの言葉の連なりだと思います。
過去。絶対にない。未来。といったような、決して過去を振り返らない、という決意のような印象があります。

LOVE ROCKETS! LOVE ROCKETS! ジェリーの魂を宿って

「LOVE ROCKETS」は、バスケへの愛を原動力に戦う湘北のプレーや、コートを駆け抜ける選手たちの勢いと解釈できます。
なので、「LOVE ROCKETS! LOVE ROCKETS!」と繰り返すことにより、湘北が決して受け身にならず、攻撃をし続けるという様子が表現されています。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』PV -THE FIRST- より

「ジェリーの魂を宿って」は、The Birthdayさんの楽曲「ジェリーの夢」のジェリーのことなのではないか?という説を考えています。

(この説以外に、「ジェリーの魂」についてなにかご存知の方がいらっしゃいましたら、コメントなどで教えていただけたらとてもありがたいです。よろしくお願いします)

「ジェリーの夢」は、次のような歌詞です。一部を引用させていただきます。

ジェリー もう一度 君の
ジェリー 夢の中 聞かせて
(中略)
空割れて さらわれた
小鳥の 冒険を
(中略)
ジェリー あての無い 旅が
ジェリー 終わる時 僕は
雲の上 歩いてたら
あの小鳥に 誘われたんだ
空割れて さらわれた
そう思って 欲しいんだ

https://www.uta-net.com/song/56644/

この曲では、小鳥の冒険の夢を見る「ジェリー」「僕」のストーリーが描かれています。

「ジェリー」とは、ジェラルド(Gerald)やジェローム(Jerome)などの愛称だそうなので、男性の名前です。そして「小鳥の冒険の夢を見る」という描写から、まだ幼い少年と思われます。

もう1人の「僕」も、一人称から男性とわかります。男の子が2人いて、友達同士なのか、あるいは兄弟という可能性もあります。

この曲の素晴らしい解説を拝見しましたので、引用させていただきます。

ジェリーの夢から一転、旅の終わりに「僕」に訪れるものが、ここで語られる。
あての無い旅が終わる時、「僕」は割れた空の中にさらわれたと思って欲しいとジェリーに語りかける。
つまりは「僕」はジェリーの前から姿を消す、ということだ。

ジェリーが悲しまなくて済むように、その時僕は小鳥と冒険をしているんだよと、ジェリーに言って聞かせている気がする。
君が小鳥の夢を見る時、僕もそこにいるから、夢の中でまた会えるんだよって。
別れの予感を孕みながらも、ジェリーの気持ちに寄り添うことを忘れない、悲しくて優しい歌なのだ。

こちらの記事では、「僕」が、あての無い旅を終えてジェリーと別れることになる際、ジェリーが悲しまないよう、「僕」は空にさらわれたと思ってほしいと言って聞かせている、という考察がされています。

歌詞の「あての無い旅」とは、言葉通りの旅という意味かもしれないのですが、「人生の旅」と考えると、「あての無い旅が終わる時」=「僕」の人生が終わり、亡くなってしまうとき、という解釈もできると思います。

そうすると、「ジェリーの夢」のストーリーは、「僕」が、亡くなったあとに遺されるジェリーのために、あらかじめ言葉を残しているという内容に読み取れます。

この2人の様子に似ているように思われるのが、『THE FIRST SLAM DUNK』のソータとリョータ兄弟の、最期の別れの日の場面です。ソータはリョータに「忘れるな」と、バスケや人生の指針にもなる教えを伝えていました。

また、ソータの最期の言葉となった「ドリブル練習しろよ」は、小柄なリョータがバスケ選手として生きていくために大事な、リョータの人生を導く助言でした。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』PV -THE LAST- #7 より

そして、「僕」がいなくなったら、(亡くなってしまったと思うのではなく)小鳥と遊んでいる、空にさらわれたと思ってほしい、という内容は、「ソーちゃんは遠くの島で暮らしてる」というアンナの言葉に、近いものを感じます。

まとめると、「ジェリー」とは、「僕」という人生の道しるべを示してくれたような近しい存在(もしかすると、兄)を失ってしまう少年なのではないかと考えられます。

そのように仮定すると、「ジェリーの魂を宿って」とは、リョータは大事な存在を失う少年「ジェリー」と似た境遇である(=魂を宿している)、という意味になるのではないかと思われます。

LOVE ROCKETS! LOVE ROCKETS! 喰らったら最後愛まみれ
NO FUTURE

「LOVE ROCKETS! LOVE ROCKETS!」と、湘北の攻撃が繰り返されています。

「喰らったら最後愛まみれ」は、「LOVE ROCKETS(を)喰らったら最後愛まみれ」と解釈すると、愛を撒き散らすロケットが命中したら、それで終わりで、もう愛まみれになってしまうしかない、という意味合いにとれます。ロケットの威力が非常に強力である様子が感じられます。

「NO FUTURE」は、未来はない。ということは、「今しかない」。すなわち、花道の「オレは今なんだよ」といった心情が表現されているように思います。

『THE FIRST SLAM DUNK』#CHARACTER より

2番の歌詞

朝靄 切り裂いて 見えるだろう 聞こえるだろう 愛のロケット

「朝靄(あさもや)」というと、原作で山王戦当日の早朝に、花道が一人で朝練をしていたシーンが思い浮かびます。

『SLAM DUNK』#217 夜明けの天才 より

「朝靄 切り裂いて」は、愛のロケットが朝靄を切り裂いて飛んでいく光景。

「見えるだろう 聞こえるだろう」は、花道の「そこで見てろヤマオー軍団」(『SLAM DUNK』#220)や「アイサツがわりだ」(『SLAM DUNK』#222)のシーンのような、山王を相手に自分の力を見せつけている様子が感じられます。

よって「見えるだろう 聞こえるだろう 愛のロケット」は、山王や会場の観客に対し、愛のロケット(=バスケへの愛がみなぎる自分たちのプレーの様子)が見えるだろう?聞こえるだろう?と、自信満々な様子と思われます。

この2番の「朝靄」を、花道の朝練のシーンのイメージととらえると、時系列としては、1番の歌詞では試合が進んでいましたが、2番で再度試合が始まるころの場面が描かれているという解釈になります。

なので、1番はリョータや湘北チームの視点で、2番は花道の視点によって再度試合に挑むシーンが描写されているのではないかと考えています。

何かを 誰かを 守るためじゃなく かき鳴らすだけ

山王は、無敗に慢心することなく挑戦を続けてきた立派なチームです。しかし、彼らには負けることを許されない大きなプレッシャーがかかると表現されており、山王の選手たちは無敗を「守る」という重責を背負っています。

『SLAM DUNK』#233 怒涛の後半 より

一方、湘北のメンバーは、「何か」「誰か」「守るため」にバスケをしているのではありません。作中でも、ゴリの「ありがとよ…」に対し、花道・リョータ・三井・流川は「自分のため」と答えています。

先に引用した、湘北が陵南との練習試合を終えたシーンが描かれている『SLAM DUNK』#48 のタイトルは、「NOTHING TO LOSE」=失うものはなにもない、という意味です。ここに湘北らしさが表れています。

「守るためじゃなく かき鳴らすだけ」には、山王と湘北の対比がはっきりと表現されています。

PAST TIME
NO WAY
FUTURE

ここでもう一度、過去・絶対ない・未来、と繰り返され、「今しかないんだ」と、この次の「LOVE ROCKETS!」の攻撃を行う前に、集中力を高めているかのような印象を感じます。

LOVE ROCKETS! LOVE ROCKETS! ジェリーの魂を宿って
LOVE ROCKETS! LOVE ROCKETS! 喰らったら最後愛まみれ

LOVE ROCKETS! LOVE ROCKETS!
LOVE ROCKETS! LOVE ROCKETS!

LOVE ROCKETS! LOVE ROCKETS! 喰らったら最後愛まみれ
FUTURE

ラストは、「LOVE ROCKETS!」が10回も繰り返されます。先述の通り、「LOVE ROCKETS」は、バスケットへの愛を原動力に戦う選手たちが、ロケットのような勢いで戦う様子が表されていると解釈しています。

なので、「LOVE ROCKETS!」の一つにつき、湘北チームが攻撃を行っていることが表現されており、幾度も繰り返される「LOVE ROCKETS!」は、何度点差をつき放されても、決して諦めずに戦い続ける湘北チームの姿が表されているのだと考えられます。

『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV 30秒 より

「LOVE ROCKETS!」をこれほどまでに繰り返し、熱唱することによって、湘北チームの諦めない強さというものを、The Birthdayさんが魂をこめて表現してくださっているということが伝わってきます。

ここは曲を聴いていると、終わるかと思いきや、まだまだ続くという印象を受けるのですが、そのような構成によって、堂本監督が「何度つきおとせばあきらめるんだ……」(『SLAM DUNK』#265)と感じたような、湘北の粘り強さが、見事に表現されています。

この「LOVE ROCKETS!」の一つ一つが、リョータのパスであり、三井のスリーポイントであり、流川のシュートであり、花道のリバウンドであり、ゴリの魂をこめたプレーであり、湘北全員で繋いだ戦いの様子なのだと感じます。

『THE FIRST SLAM DUNK』PV -THE FIRST- より

少し蛇足かもしれませんが、「LOVE ROCKETS」の正体は、冒頭の小さなツバメでした(ツバメがとんがって飛んでいる姿)。そのイメージでいうと、大きな白鳥に勝つには、速く飛ぶことしかない。なので、ツバメは何度も突撃を繰り返すわけです。
しかし、小さな身体でこれほど突撃をしたら、傷ついて、翼が折れてしまうであろう勢いです(実際、花道も大怪我をしてしまいます)。
それでも攻撃をやめず、何度もチャンスを狙い戦い続ける。そのような、満身創痍になりながら、決死の覚悟で戦っているというイメージも想像されます。

そして、1番では「NO FUTURE」だったところが、ラストは「FUTURE」になっています。「今しかない」というところから、試合を経て、一歩先の未来へたどり着いた、という表現だと感じます。相手を愛まみれにして、湘北が勝利をした、という結末を読みとることができます。

個人的な印象ですが、「喰らったら最後 愛まみれ」というのは、両者とも強いチームであり、一方が弱かったから負けたという話ではなく、この対戦においては湘北チームのバスケへの愛がわずかに上回っていた、というような決着として描かれている、選手への優しい視点が感じられるフレーズという気がしています。

おわりに

『THE FIRST SLAM DUNK』を観た方なら誰でも、オープニングの映像と「LOVE ROCKETS」のとてつもないかっこよさは共感していただけるのではないかと思います。

The Birthdayのチバユウスケさんが『SLAM DUNK』を全巻お読みになって作詞をされたと知り、改めて歌詞を読ませていただくと、湘北や『SLAM DUNK』のことをとてもよく表現してくださっていることに気づきました。

映画パンフレットのインタビューでは、「タイアップだからと曲の作り方を変えるバンドではない」といったお話をされていたので、あまり作品に添った感じではないのかなと誤解してしまっていましたが、あのお言葉は、いつも通りに真摯に曲作りをなさったという意味だとわかりました。

どこを読んでも、『SLAM DUNK』をよくよく理解してくださっていないと出てこない表現ばかりだと感じます。表面的な理解では書けないようなフレーズに、センスも相まって、圧倒的な詞の世界観があります。

『THE FIRST SLAM DUNK』PV -THE FIRST- より

まず最初の2行がとてもすごくて、ここだけで『SLAM DUNK』のすべてと言ってもいいくらいに凝縮されています。弱小のチームが、バスケを愛する心を胸に、最強の敵に全力で挑むというストーリーが完璧に描かれています。

そこに『SLAM DUNK』といえばの鎌倉高校前駅と、『THE FIRST SLAM DUNK』のリョータの思い出深い情景を挟むことで、詞の映像が切り替わるスピード感の中に、選手の心情を想像させる表現が両立されていて素晴らしいです。

曲があれほどまでにかっこよく、詞も非常にかっこいいのですが、その上に小さなチームが頑張る懸命さ、バスケを愛するひたむきな心、最後まで諦めない芯の強さ、といった点が描かれているところが感動的です。「LOVE ROCKETS!」が続くところでは、湘北の姿が浮かんできて、ぐっときてしまいます。

ですが、何といってもかっこよさや強さを前面に出し、ドライな感じで歌われているところが本当に良いですよね。まさに湘北のイメージそのものです。

「LOVE ROCKETS」は心の底から名曲だと思います。
The Birthdayさん、素晴らしい楽曲を聴かせていただき、本当にありがとうございます。
チバユウスケさんのご快復を心よりお祈り申し上げます。


改めまして、引用させていただいた素晴らしい記事の作者さま、参考にさせていただきありがとうございました。自分だけでは気付くことのできなかった知見を得させていただき、大変感謝しております。もしなにかご迷惑がありましたら、すぐに修正させていただきます。

この記事に、何か参考にしていただける部分があったとすれば嬉しいですが、ピンとこない内容がありましたら忘れていただいて、ご自身の解釈を大切にしていただければと思います。
ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、どうもありがとうございました!

【追記】23.08.26
記事を引用させていただいたおバブちさま、ご快諾くださいまして大変ありがとうございました!



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