あなたも私もニコニコ動画のはずだった

さてさて、今日はちょっと大切な日。
それは10年以上お世話になった、ニコニコ動画からの決別の日だ。

動画を投稿しはじめて、気付いたらその動画本数は既に1500本を超えていた。
毎日の動画投稿が楽しくて、それを見てくれる人のリアクションが楽しくて。
何か自分でもコンテンツが作れるんだ!その地震を最初に与えてくれたのがまさしくニコニコ動画だった。

じゃあ、なんでそんなニコニコ動画から去るのか。
それについて、今回は真剣に書いていきたいと思う。

先に言ってしまうと別にたいそうな理由ではない。
何故ならば「昔からニコニコ動画にいた」人にとっては、当たり前の理由だからだ。

当時動画投稿サイトと呼ばれる存在は極めて特殊だった。
今ではスマホでニコニコ動画もYoutubeも気軽に見られる。
しかしながら、あの時代はまだお家に必ず回線があったりだとか、パソコンが必ずある時代でもなかった。
そして、スマホなんて無かったから、携帯電話で見るわけだが携帯電話で見る仕組み上、「手回し」なんて機能があって。
決定キーを連打しないと動画が見れなくて、ひたすら決定キーを連打しながら動画を楽しんでいるような時代だった。

動画サイトが当たり前に存在しないってことは、動画を投稿しようという人にとって動画を投稿する場所はニコニコ動画しかなかったのだ。
厳密に言えば、早い段階でニコニコ動画以外も立ち上がったし、それこそYoutubeもあった。
しかしながらあの時代は本当にアニメのことからゲームのことから、バカげたことまで全てをやる人がニコニコ動画に集まっていた。

誰でも楽しめたんだ。
アニオタだってドルオタだって鉄道オタクだって。
楽しめない人がいないぐらい、そこに世界が広がっていた。

しかしながら、いつしか時代が徐々に変わっていった。
それは間違いなくクリエイター奨励プログラムからだ。
通称「クリ奨」は言わばクリエイターさんにお金をあげますよ。という仕組みだ。
今では当たり前かもしれないが、当時にはそのような文化は最初はなかった。

それこそボカロが生まれたことによって、有名なボカロPは生まれたが、それはあくまでボカロPがCDを出すことになり、それで利益を上げる。
などであり、動画から金銭が生まれるということはなかった。
しかしながら、奨励プログラムが始まると「利用されやすい動画」や「素材」を作ると利益が生まれるようになった。
楽しさを求めるクリエイターと利益を求めるクリエイターがそこには存在するようになった。

そして、さらにボカロPは世の中の立ち位置を強くしていく。
ニュースでも取り扱われるようになり、ニコニコ動画は立ち位置をさらに強めていくと同時に「知られ過ぎてしまい、いろいろな人が集まれるプラットフォーム」に成長してしまう。
悪いことのように書いてあるが実際には悪いことではないんだと思う。
しかしながら、そこでの舵取りをニコニコ動画は誤った。

いろいろな人が集まることはもちろんサービスとしては大成功となるが、それをある程度線引きして、誰でも楽しめるサイトから。
ゆっくりとゆっくりと、離れていってしまっていた。
そして、同時に独立した文化を生み出したニコニコ動画はゆっくりとゆっくりと。
ガラパゴス化してしまっていた。

YoutubeはYoutubeで当時、独立した文化をしっかりと築いていた。
顔出しをしている人が若干多い、エンタメよりも日常の風景を切り取った動画を投稿する。
など、今でこそ存在するVlogのもっとクオリティが低いような動画がたくさん出ていた。
そして、Youtubeのコメント欄。ここが個人的にはポイントなのだが。

本来ニコニコ動画は「瞬間に対してコメント」をする文化があった。
そして他の動画サイトは「動画に対してコメント」をする文化を育んだ。
結果として、ニコニコ動画で育った動画ユーザーが他のプラットフォームに行くとなんとなく。
大声を出すわけではないが、煙たがられる存在となっていった。

どこに対してコメントをしているのかわからないコメントの数々。
相手が「w」などのネットスラングを知っているかもわからないが「w」を多用するなどの言わば「意味不明の言葉の羅列」
ニコニコ動画はいつしか、異端な存在を生み出すプラットフォームへと静かに変わってしまっていた。

そして、他の動画サイトが成熟した時。
当たり前ではあるが「先駆者を真似ようとしたサービス」は差別化を図る。
その際に、当たり前ではあるがニコニコ動画を見習ったサービスが生まれてきた時に
「ニコニコ動画はあぐらをかいていた」のだ。

例えばではあるが、Youtuberにも過激な動画を投げている人はたくさんいる。
オフパコ(オフ会で出会ってSEXをする)などをあたかも狙っているような表現をしている動画もたくさんある。
しかしながら、Youtubeにはそれを検索する為の手段が限りなく「オフパコ」と調べないと出ないようになっている。
これは検索機能が弱いだとかランキングがないから見づらい、などの評価をしている人がいるが、逆に言えば「知らない世界は見なくて済む」作りになっている。

一方で、ニコニコ超会議では女性が「オフパコ希望です!!」などと生配信で言葉を放ち、それをすぐにまとめるサイトが出てくる。
ニコニコ動画のユーザーいわゆる、「ニコ厨」はやばいという認識が少しずつ世の中に出回り始める。
これはもちろんYoutuberも最初は抱えていた問題だった。
しかしながら、Youtuberは再生数を稼ぐ為に過激な動画を投げる。
一方、再生数も持たないいわゆるただの「視聴者」が平気でそういう発言ができるプラットフォームの方が、やばいのだ。
外野からすると理解に苦しむ世界が見える。
そうなった時にSNSなどでは「まだニコ厨なの?」と煽られる。

ニコニコ動画ではバイセクシャルの人の動画が流行り、時の人をいじる動画が流行り、さらに独立した文化は進む。
一方でYoutuberは「自分を見せる」動画しか作らない。
人気が欲しい、再生数が欲しいから自分を理解してもらおう。自分を見て楽しんでもらおう。という人しか生まれない。

他人をいじることが許され、おもちゃにされていることが許されるサイトと、一方で人気を高めようと自分を売り込む人がたくさんいるサイト。
どちらに人が流れるか。
さらに言えば、どちらが健全そうに見えるか?
自分の書き方じゃ、どちらも危なそうに見えるがまだ後者の方が健全だ。

そして、最大のターニングポイントは、スマートフォンだ。
スマートフォンが一般的に普及したタイミングで、人は「定額通信を利用したサービス」を使うようになる。
その時に、日の目を浴びたのは国内で間違いなくYoutubeだった。
スマートフォンが当時、普及したタイミングではまだまだニコニコ動画にも勝ち目は正直あったと思っている。
しかしながら、やはり「あぐらをかいたサービス」には、勝つ為の活路を見出す力はなかった。

すごい個人論も入る話をするが。

ニコニコ動画のやり方はおそらくだが「とてつもなく日本的な戦い方」をした。
ニコファーレ、ニコニコ本社など、スタジオをレンタルしますよ、あなたも活躍できる舞台があるかもしれませんよ。
という、「やりがい」を中心としたサービスを展開して、配信者を囲い込もうとした。

言わばやりがい搾取だったのではないかな、といろいろとこれを記載する為にwebで調べ物をしていてふと感じた。

一方のYoutubeは無料で使えるのもあり、ユーザーは増える。
言わば「誰かに見てもらえる確率をあげる」
そして、「見てもらえたらお金をあげますよ」という直結的な報酬を提示していた。

努力の結果がやりがいなのか努力の結果が「報酬」なのか。
普通の仕事と一緒だが、人の流れる先は当たり前だった。

私の話だが広告収入をONにしたのは3年ほど前だったと思う。
それをONにした理由は動画の容量が多くなり、どこかに保存する為の費用が年々増えていく。
動画もさらに良く作りたいと考えるとPremiereなどの有料ソフトに手を出したいが、そのコストもかかる。
それらをペイする為に広告をONにした。
言わば「環境をさらに良くする為、もっと動画を良くする為、自分ができることを増やす為」の広告だった。
それは今でも変わらない。人気Youtuberになれるとは追いかけ続けるがどこかで「まぁ厳しいっしょ」という感覚があるからこそ。
今の自分をさらに強化する為に広告をONにしている。

そう、その場で存在意義が認められさえすれば、少しずつでも環境が良くなり、さらに良い動画が提供できる。
もしかしたら、大物Youtuberのようなことができるかもしれない。
というレベルアップ感があるのだ。

一方のニコニコ動画では、ただただのやりがい。
やりがいは人を昂らせる効果はあるかもしれないが、実質的な成長は見込めない。
やりがいだけしか与えられていないと「自分はここにいなければならない」という意識レベルなどは上がるが所詮はその程度であり、感性が麻痺っていくだけで、何もない。
人が仕事でそう考えた時に「仕事というもの」はやめないが、仕事先を変える。
同じように「動画配信」はやめないが「動画配信先を変える」は当たり前に起こる。

その結果、ニコニコ動画は動画配信サービスとしては最大手だったはずなのに。
少なからず国内では最大手だったはずなのに。
気づけば「ニコニコ動画からのインフルエンサー」を作ることはもうなかなかできずに、他のサービスに遅れをとっている状況が続いている。

そしてそれでも。
「ニコニコ動画はあぐらをかいていた」

ようやく2年前、1年前ほどに「対処をすることをユーザーに伝える」ということを動きとして行った。
この時に、ニコニコ動画ユーザーはおそらくだが、二つの感情が芽生えたことだと思う。

「もう遅い」
「でも信じたい」

そして、ニコニコ動画はやり遂げた。
「盛大な裏切り」を。

宣言していた内容は大体は網羅されておらず、最初は適当な側だけをリリースした。
アップデートをします。の繰り返しとなっており、大体の機能がリリースされるまでは1年以上の時間を費やすことになる。
潜在的には存在していた「ニコ厨」を自らの手で失望させてしまった。

あの時にニコニコ動画で「時報うるせえよ!!」と思っていたユーザー達が。
「共通の言語で語り合いたい」と懐かしんでいたユーザー達が、
心のどこかで「帰りたい場所」として、考えていた。
そんな砂の惑星には、ただただ砂漠だけが広がっていて。
もう「緑が戻ることはない」ということを悟ってしまった。

そこからはもう何をしても手遅れ。
結果として未だに淫夢が盛り上がり、そしてVtuberという文字の6文字中5文字がYoutuberを指すはずの言葉がニコニコ動画にアーカイブ置き場として残され。
ネットのことを知らない政治家や政治家関連者が若者に向けて政治を語る場所として。
現在のニコニコ動画が完成した。

そんな場所でニコニコするなんて。
できるわけがない。

当たり前だが、そんな場所に動画を投稿しても、誰も見てくれるはずがない。
もちろん、再生数が伸びている動画が存在していることは理解している。
ただの負け犬の遠吠えなんかではない。
いや、ニコニコ動画でのびられ続けてたらきっと投稿を続けてただろうから、この投稿自体が負け犬の遠吠え説はあるのだが。

今のユーザー数では「刺さるかもしれないニッチ層」にすら刺さらない。
そのニッチ層にかけるなら、まだYoutubeに投稿した方が良いに決まっているのだ。
弱小であれば弱小であるほど、Youtubeにかけるしかなくて、もうニコニコ動画に賭ける価値が残っていないのだ。
走らない馬に馬券を買う人間なんていないのだ。

悪口ばかりをかいたが、実はニコニコ動画にも優位点は残っている。
それは、「タグ」という文化だ。
別に「投稿者が頭を捻らなくても」昔から残っているタグの文化のおかげで「期待の新人」など一部の検索力が高いタグをパトロールした上でつけてくれるユーザーがまだ存在している。
だから、投稿者の新人開拓力はまだ残っている。
しかしながら、昔のタグのレギュレーションで言えば、そのタグをかいてもらうだけの作品を作らなくては生き残れない。
言わば、「実力がある投稿者にとってはまだ価値があるサービス」ではあるのだが、私のように「自分の個性以外」何も差別化できないような弱小クリエイターからすると、やはりだがニコニコ動画で戦うのは非現実的なのだ。

恐らくではあるが、これは多分だが。
自分はバイオハザードというシリーズの動画投稿本数だと日本一クラスの投稿をしていると思う。
Youtubeではありがたい話でずっと追いかけてくれるユーザーがいる。

しかしながら、同じような動画でもニコニコ動画ではもう再生数は伸びない。
再生数が全てではないのは十分理解している。
だけど見てくれる人がいるのであれば。
当たり前だが、釣れる池で釣り糸を垂らしたいのは間違いない事実だ。

そう考えた時に。
多分だけど自分は信じすぎた部類の人間だと思っている。
どんどん投稿者が。
昔の仲間がニコニコ動画からいなくなっているのに、自分だけはひたすらニコニコ動画に投稿を続けていた。
しかしながら、毎日動画を配信するような私にとってはニコニコ動画は投稿画面だけでも苦痛を与えてくる。

Youtubeと違い動画を1本ずつしか投稿できず、
予約できる限界数は10本と工数を高めることはできても省略には貢献してくれず。
予約した時間すらもチグハグになり、動画の表示順も整理できず。

動画投稿という趣味を継続するには2020年になった今、劣悪な環境でしかなくなっている。

でも、もしかしたらいつかきっと。
また。
ニコニコ動画に皆が集まって、皆でニコニコできるかも知れない。
ずっと信じてた。

だけど、もう。
現状としては「見られない動画」を大量に投稿しているうんこみたいな状態。
という現状だけがニコニコ動画の私のユーザーデータに残っている。
自分に自分で泥を塗り続けている状況がずっと続いている。
どこかで切り替えなきゃいけない。どこかでしっかりと舵を切らなきゃいけない。

そう思った時に。
だとしたら「ニコニコ動画で受けそうな動画」を作るぐらいなら「Youtubeで皆が見てくれそうな動画」を作る方がまだ。
建設的だと。
自分が経営者としたら、「負け馬にかけるのは事業的にもう限界があることを悟らなきゃいけない」と。
そう思い、ニコニコ動画と決別をすることにした。

なんで。こんなことを書いているのか。
それにはとっても簡単な理由がある。
それは。

俺が間違っていると証明してほしい。
またニコニコ動画に人が集まって、みんなでくだらない動画を笑い合って見れる。
そんな時代が来て欲しい。
こんな記事が間違っていた、お前が間違いだ。
と指を刺して笑って欲しい。

だけど、俺にはニコニコ動画を変えることなんてできないから。
だから。
今回私は決別してしまうので、間接的にもう一度。
ニコニコ動画に裏切って欲しい。

そんな気持ちを込めて。
今、このNoteを書いている。

今でも活動が続けられているのはニコニコ動画のおかげだし。
ニコニコ動画と出会わなかったらきっと、俺は。
いろいろなものに出会えなかったと思う。
ニコニコきっかけで未だに交流がある友人がいる。
ニコニコのおかげで広がった趣味がある。
ニコニコに、たくさんたくさん大事なものをもらった。

だから。
また。
ニコニコ動画を見ながら。
ニコニコ動画に動画を投稿しながら。
ニコニコしたい。

それを祈って。
裏切ってもらうためにこうやって長々と自分の気持ちやら考えを書いている。

また新しいことに出会える場所が。
きっとニコニコ動画になりますように。

本当にニコニコ動画には感謝してる。
感謝してもしきれないぐらい。
ニコニコが大好きだったよ。

俺にいろいろなことを教えてくれてありがとう。
もう一度、あそこで。
皆と笑い合えますように。

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