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#67 同じことと違うことのバランス

私が学生時代、就職活動中に、ある人に「同世代もいいけれど、10歳くらい上の人と交わっているといいよ」というようなことを言われた記憶があります。それから、その言葉はなんとなく意識していて、近しい世代だけでなく、10歳以上年上の友人ができたらありがたいなと思ってきました。
自分が歳を重ねるようになってきてからは、今度は年下の知り合いも尊重して意識するように。
ふだん、年齢を気にして生きているわけではありませんが、ふとしたときに他の世代を意識してみると、自分の狭い視野に凝り固まらないでいられるように思います。実際、感覚が違うことも多いので、なるほど!と思うことや、当たり前に思っていたことが当たり前でないんだな、と気づかせてくれたりします。

子どもを通して知り合う方々は、年齢層が幅広いです。東京にいたときは、子どもの人数が1~2人が多かったし、出産年齢の幅もそんなには広くなかったから、子どもの年齢が近いと親の年齢も同じくらい、という感じでした。仕事で出会う人も同世代の方が多かった記憶です。
八ヶ岳に移住してくると、子どもの人数が3人は当たり前、多いと5,6人というおうちも多いです。すると、長男と同世代のお子さんがいて知り合った方が、4人目とかだったりすると、上のお子さんは成人していたりします。そして、ここ八ヶ岳に集まっている人がカラフルだからか、仕事や知人を通して知り合う方の幅の年齢層も、20~70代と一気に広がりました。

年上の友人は、少し先のことを今体験しているので、子育て、更年期などの健康面、生き方考え方、参考になることがたくさんです。

最近、すっかりいろんな人が発信するようになっていて、昔は書店に行かないと接することはなかっただろう情報に気軽に出会えます。ラジオやブログを通じて、面識はなくとも、興味がある人の話を聞いたり読んだりできるようになりました。

年齢をひとつの例として書きましたが、考え方の違いもそうで、色んな人と接することが自分の枠を広げてくれるなと、感じます。
例えば、新卒で入ってからずっと同じ会社で働いていたりすると、社内の人とはどこかしら似ている属性のことが多くなります。同級生とかでもそうかもしれません。

私は、何度か、意識的に考え方が似た人が多い場所を選んで、住む場所だったりコミュニティを選びにいったりしました。
文京区に住んでいたとき、外で育てたいと思い、代々木公園で活動していた自主保育にお邪魔したり。自然保育をしている園が多い多摩エリアに引っ越したり。
生活の主な部分は、自分が居心地よくいられることが大事だなと思います。家族の中だけで暮らしが完結していたらいいのかもしれませんが、保育園や幼稚園、学校、ご近所さんや買い物する場所など、暮らしは多岐に渡ります。

自分がありのままでいられる関係性や環境がどこかしらの部分であることで、生き生きできると感じます。すべてが自分の価値観と同じというのはめったにないし、その必要はないと思いますが、自分があまりに少数派だという場所で、私は孤独に感じていたり、ストレスを感じていました。そして、自分でそう感じていることにも気づかずにいました。

何が言いたいかというと、自分がホッとできるような場所がベースにあって、その上で異質なことがあるといいな、ということです。
ホッとできるような場所というのは、いわば土台です。自分軸がしっかりしている人なら、どんなところでも、自分らしくあれるのかもしれませんが、私は無意識に相手に合わせてしまうせいか、自分と違う場所に長いこと身を置くと疲れてしまいます。
かといって、居心地いいところに居続けることは、視野を狭めたり、思考を凝りかためてしまったり、成長しなくなるので、そのバランスが大事ですよね。

また、違うなというときに、同じであることを相手に強制せず、働きかけこそはしても、相手のちがいをありのままに尊重するということも大切だと思っています。

今日は、ラジオを聴いていて、少し上の年齢の方の話を参考にしているなと思ったところから、違う世代や異なる考え方を持つ方々とあえて触れることで視野を狭めないことを書きました。と同時に、自分が自分らしくあれるような、ある種同質ともいえる場所も大事だなと思えることも思い出しました。
ライブイベントや家族の状況、自分の健康状態により、同じことと違うことのバランスを上手に取っていくことが、心の健康を保つ上で、また成長していく上で大事なのかもしれませんね。

今日もお読みくださりありがとうございました。
それでは、また明日、お会いしましょう!

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