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#64 目と手の協応

一昨日の記事に、文字を書くことを習得するときに、発達性協調運動症ということを書きました。

今なら、それにプラスして、長男は発達性協調運動症DCD)ということもあって、目と手の協応するのが難しかったというのも理解できます。直接的な、ひらがなを書く練習、だけではなくて、目と手の協応(目の動きと手の動きのチームワーク)のトレーニングも必要だったんですよね。
(上記記事 #62 発達が階段状と思うとき より)

協調運動とは

協調運動という言葉を聞いたことがありますか?
協調運動とは、上記の「文字を写す」ということで言えば、目と手という別々に動く機能を、互いにかみあってまとめてひとつにして動かす運動のことを言います。協応とは、こういった複数の機能をまとめてひとつにして動かすことを言います。

「隣に書かれている文字を写す」は目と手の協応ですが、他にも例を挙げてみます。
目と手の協応は、他にも、鉛筆で線をなぞり書きする、ボールを相手に向かって投げる、などもあります。ボールを目で追いながら足で蹴るのは、目と足の協応です。歌に合わせて手拍子をする、縄跳びやスキップなども協調運動ですね。

発達性協調運動症

発達性協調運動症DCDともいう。以前は協調運動障がい)とは、このような協調運動をするのが困難であったり、できていたとしてもどこかぎこちない状態のことを言います。これは、脳の基質なので、練習したらその分できるようになる、というわけではないのです。習得がゆっくりだったり、できないままのこともあります。

以前の記事で、長男が小学校に上がったころに、食べこぼしがひどく、それを訓練によって直してください、と当時の担任の先生から指摘されたと書きました。

その先生は、発達性協調症(DCD)についての知識がなかったんですよね。
目が悪いお子さんから眼鏡を取り上げて「頑張って見れば、見えるようになる!」と言う支援はしないですよね。眼鏡をかけていいよと言いますよね。
それと同様、DCDの子どもにも、訓練して頑張らせて「できるようにさせてあげる」のではなく、難しいところをさっと手伝ってあげる支援が必要なのです。

認知がされていないために、例えば、視写が難しいお子さんにあらかじめプリントを配布する・タブレットを使ってもOKなどと言うと「不公平」と、周囲から声があがりがちです。
食べこぼしをしてしまう、キャッチボールや縄跳びが苦手、という方がいたら、「だらしがない」「へたくそ」と責めるのではなく、「苦手なんだな」「頑張ってもできないのかもしれないな」とあたたかく見守ってくださいね。
大人でも、ご自分を責めたり、つらい思いをされている方もいらっしゃるかもしれません。不器用だったりだらしがないと思いがちなこういったことは、そこ、悲しくなるポイントではありません。
大人も子どもも、マナーを気にしなくてもリラックスして食べられる環境(場所や、一緒に食べる人)、安心して学んだり遊んだりできる環境の方を考えていきましょう!

私が小さいころからずっとある、小学校でも中学校でもある、クラス対抗・全員参加の縄跳び競争。
個人なら「たくさん飛べた方がえらい」、クラス対抗で「早く多く飛んだクラスが勝ち」というアレ、どれだけのお子さんが傷ついているんだろう、と思ったりします。誰かが突っかかったら数がリセット、なんてルールは、もう最悪だなと思います。
協調運動が苦手な子は、ものすごくプレッシャーなんですよね。きっかけが大縄競争で、不登校になるお子さんを何人も見ました。

「みんなで力を合わせる楽しさ」は、誰の正義なのでしょう?
「どんな子も全員参加」にするなら、「どんな子にとっても傷つかないルール」に変えるべきなのでは、と思います。
これだけ学校に行きたくない子が増え、自殺率も上がってる今、学校などで当たり前に取り組まれていることを見直さなくてはいけないように思っています。やって当然、これまでもやってきた伝統だから、というのは、多数派の論理で行ってきていることがたくさんあります。
大縄やボール運動の例を協調運動ということで書きましたが、それ以外にも、かけっこや、チーム競技で全員に順位がつくことも、よーいドンでピストルの大きな音をすることも、学年全員での演技をすることも、私たち多数派にとっては当たり前のことも、それで嫌な思いをしていたり、傷ついたり、どうしても嫌でその時期には学校にいけない、という子がいます。それ、どの子にとっても必要なのでしょうか。
嫌だから学校にいかないなんてワガママ、根性が足りなくて甘えている、と周りは責めがちなこういったことは、単に甘えのこともあるかもしれませんが、感受性の違いなど、本人にとってどうにもできない性質によることも多くあるんですよね。

私たちが「知る」ということが、大事だなと思っています。
以前、どこかで「学ぶことは強くなること」と書きましたが、こうして、知識を得ることで、困り感のある子どもを多角的に理解することができます。そうすると「こんなに働きかけてるのにできるようにならない」という無力感も減るし、周りからの冷たい言葉や視線があっても、気にならなくなったり、愛を持って説明できるようになったりします。

今日も読んでくださってありがとうございました。
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それでは、また明日!

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