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転勤族で身についたこと「今の自分が当時の辛い自分に伝えてあげたいこと」

昨日に続き「転勤族で身についたこと」を振り返ります。

いい学校、いい友達であればあるほど「〇月に転勤」と親から聞くとショックだったわけです。
次の場所への不安もありつつ、でもちょっと「今度はどんなところへ行くんだろう?」と期待もあったりしました。

振り返ると本当につらかった転校先が1つだけありました。
とある地方だったのですが海が近く漁師さんの子供たちがクラスに多くいました。その中に「番長」というポジションの女の子A子がいたのです。

今だったら理解が出来たり、それなりに仲良くなれたり、あるいはまったく「人は人」としてストレスを溜めずに過ごせたかもしれませんが、当時は全身で感じる「排他的感」と「よそ者が来たんだったら私に従がえ感」がすごくて(しかも子分がいる)初日から「すごく嫌なところに来てしまった」と思っていた気がします(空気感などに直感的にピンと来るのが速いのも転校で培われたことかも知れないです)。

反発はしないものの、従うのも嫌だし、子分が言いなりなのも「なんだこれ!」と思っていたしはっきり言っちゃうと「この田舎もんが~!」くらいの悪態を(心の中で)常についていた気がします。

ですが友達ももちろんいて同じ官舎に住む子達は普通に仲良くしてくれました。ですが理不尽さや不自由な感じに「悩んでいる自分」も嫌だったし、親に悩んでいることを知られるのも嫌だったので結構辛かったです。

「親に悩んでいるのを気づかれるのが嫌、気づかれないように対応する」というのが二重の苦しみ(負担)だった気がします。親は心配している「お友達はできるだろうか」「勉強にはついていけているのだろうか」また親自身も地域になじむことが大変なのです。

当時の「知られるとどう嫌か」を分析すると
・親はとても大事にしてくれているのに心配させるのが嫌
・もっとこうしろ!と言われるかもしれないのがウザい、恥と感じる
・親に言っても明るい答えが見えなさそう
・こんなことで落ち込んでいる自分を知られるのが嫌
などの感情があった気がします。

特に「子分連れ」ってたちが悪くて味方(友達)はいたものの「(自分がなにか悪いことをしたわけでもないのに)クラスの過半数が敵(当時の場合は理解できないコミュニティ)」という感じって社会経験少ない子供にとってすごく衝撃的に辛いことです。


今の自分が当時の自分に言葉を贈るとするならば
・あなたは悪くない。
・この世界がすべてじゃない。
・学校の基本は自立(生活・経済を自分でまかなう)するまでの通過点。本質(この場合は勉強)に集中しろ。広い世界に出たら良い人には必ず会える。その時に良い人が自分と付き合いたいと思えるような特技や価値観をもっておけ(勉強・なりたい職業・趣味・得意なことなど)
・集中することで特技をつくれ。特技で一目置かれたら立場は変わってくる。
・みんなと仲良くなる必要無し。
・環境は必ず変わる。つまらない価値観に心を消耗するな。
・信用できる大人や信用できたり次元がもう一段高い他の世界の人達と出会う努力をしろ。
・もしも実害がある場合は全力で逃げる、助かる知恵を使え。

この土地ばかりは次の転校が決まったときすごくうれしかったです。

この時の経験が次の転校地「千葉県」で最高の学校生活に繋がった気がします。








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