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旅立ち前の徒然

随分前の話。

数年ほど準備に関わってきたプロジェクトから声がかからなくなり、その後に訪れるはずだった華々しい立ち上げの舞台からは外れていた。あれ?と思ったが、今自分は必要ない場面なのだなと自らを納得させ、その時は他の仕事に集中した。

何年か経ち、そのプロジェクトが現実的な運営段階になったところでまた声がかかって再び関わるようになった。そうなるだろうと準備をしていたので、スムーズに入ることができた。思い返せば、あのとき(一旦外れていたとき)表に出なかったことがいろいろと幸いした。

この出来事があったとき、「群像の感覚」のことを思い出した。

群像の感覚とは、東進ハイスクールの林修先生が紹介されていた言葉で、「社会に出た時に自分の強みは何なのか。そして、自分の実力が周囲と比べてどのポジションにあるのかを客観的に見定められる能力」のこと。

思うに、どうも人というのは、自分が尊重されているかどうかを気にする生き物のようで、社会に出た時に、自分に合ったポジションにうまく収まっていないと、尊重されていないような気持ちになり、世の中がとても辛いと感じる。

気をつけなければならないのは、歳を重ねる毎に社会から期待されることは変容していくということ。それは環境も自らも変わるからだが、その関係性は複雑だ。だから群像の感覚はいくつになっても磨き続けなければならない。

以前はこの話を新卒くらいの若い人にしていたのだけれど、自分より一回りくらい若い人〜40代くらいの人たちにもするようになった。

みんな悩んでる。

自分の失敗は環境のせいにし、他人の失敗はその人の性格のせいにする。程度の違いはあれ、人はここから外れることは不可能なようだ。ただ、自分にできたことがもうちょっとあったかもしれないな、くらいの振り返りはいつでもできるようにしたい。

そうしないと、何かが逃げていってしまうような、そんな気がする。

今年もほとんど家に帰れない秋が始まる。

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